SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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私の絶望

あらゆる問題は有限であること、それを無限と解釈すると、絶望することになる。絶望は生産的なことを何も産み出さない。故に、問題を過少評価するのも問題だが、問題を過大評価して絶望することも同じくらい問題なのだ。
 
あらゆる問題には終りがある。その終わりを早めるも遅らせるのも、いかに生産的な行動ができたかによるところが大きい。故に絶望すること勿れ。絶望しても何もならない。
 
希望をもち過ぎることも問題だが、絶望し過ぎることも問題だ。私はどうして自分が勝てないのか考えると、問題が無限であるかのように錯覚したことが原因だったのだと思う。私の子供時代は、エゴの強い人に囲まれて、いつも妥協をしていた。
 
私は周囲の人間よりもエゴが少なかった。だから、相対的に、エゴの少ない方が負けるのだ。私が抗議しても、相手が私の意見を尊重しなかったのは、私のエゴのなさを見透かしていたからだ。そんな生活の中で、私は他人のエゴが無限大のように感じた。何のことはない、ただ、自分と相手とのエゴの相対性の上で決まっていたことであって、相手のエゴも有限だったのだ。ただ、いつも相対的に敗北してしまうため、敗北し続ける自分には相手のエゴが無限に思えただけのことなのだ。
 
つまり、相対性の中で決まっていることが絶対的なものに錯覚することによって絶望が生まれているのである。少なくとも私の場合はそうだった。例えば、日本の政治において、官僚が勝利するのは、官僚が情報と金(特別会計)の分野で相対的に優位に立っているからであって、その前提を覆せば、その限りではない。つまり、問題は有限なのだ。しかし、これを絶対(無限)と錯覚する事によって隷属的な政治が行われてしまう訳だ。その隷属意識を肥やしにして、官僚が肥え太る。支配者とは、実際は、力の相対性によって決まっているに過ぎない事を絶対だと錯覚させる事によって、人を奴隷に(支配)する。
 
よって、支配されない為には、この偽りの絶対を肯定する様な姿勢、特に「仕方がない」という言葉を使わない様にするべきである。この言葉は、本当に仕方がない時に使うべきで、それ以外の事に使う時には、状況に隷属する言葉である。自らが奴隷でないと思うのならば、この言葉を使う事を踏みとどまり、もっと生産的になるべきである。私も、この言葉はあまり使わない様にしている。これは敗北の言葉だ。簡単に使う言葉じゃない。
 
安易な絶望は、ガン細胞の様なものだ。それは社会全体を蝕み滅ぼす事も出来る。だが、絶望せず希望を持ち、生産的に生きる人間には、いつかトンネルを抜ける機会も訪れよう。なぜなら、問題は常に有限なのだから。(世の中に無限なものなどないのだから)
 
問題を限定し、無限だと錯覚しない事、それが絶望しない秘訣だ。(当たり前の事だが、大事な事だ)