その行為は、同じ様に自己中心的でわがままな人間には共感できるが、そうでない人間には愚行にしか見えない。
勢いで他国に息巻いても、実質の伴わない勢いなど、外国は相手にしない。「馬鹿かこいつ」と思われるだけで、よくこんなバカがトップになれたなと熾烈な権力闘争を勝ち抜いてきた各国のトップは思うはずだ。当然、そんなバカには、容赦無くカードを切って叩き潰すのが常道。
高市の様な体育会系の発想は、大体、何を考えているのかわかる。なぜ、そう考える様になったのかも分かる。まず、基本的に「勢いよくやれば巧くいくと思っていて、それ故に計画性がまるでない」体育会系がなぜ、そう考えるのか、それは筋肉を鍛えるのと同じだからである。
体が丈夫な人は運動すれば筋肉がつくと思っている。なぜ、体に筋肉がつくかと言うメカニズムを理解しているのではなくて、運動をすれば、筋肉が自然につくものだと思っている。体育会系は、この発想を他の分野に適用してしまう。結果の出るメカニズムを理解しなくても、やれば結果が出るものと思ってる。
現実の問題は、メカニズムを理解しないと全く結果がでない事がある。メカニズムを理解するための行動も必要なので、考えるだけではダメなのだが、体育会系は、行動する前にメカニズムを理解して行動するという姿勢がない。その仮説に基づいて行動して、それが妥当か、そうでないか検証する事が反省。
Plan Do Seeの中で、体育会系は、Planがない。つまり、こうすれば巧くいくはずだと言う仮説がない。行動をして失敗する。反省しようと思っても、行動に仮説がない。最初の仮説と比較して実際の結果を検証(see)すると、どのような行為が正しいのか、繰り返していくうちにわかってくる。
しかし、体育会系は、自分の行動にPlanがないので、比較するべき仮説がない。検証(see)する際に、何が正しくて、何が間違っているのか比較するときに仮説がないと、何が結果を生み出すのか特定できない。ただ、漠然と同じ行動を繰り返すのみである。それを馬鹿の一つ覚えという。
体育会系の間違いの本質は、運動をするときに体が自動的にやってくれる事を、現実のあらゆる行為も同じ様に自然にお膳立てをしてくれるものと勘違いする事である。
食事の時に淡白質を消化器系が吸収し、運動をすると、破損した筋肉細胞をより強化したものに、消化器系が吸収したタンパク質を使って体が自動的に取り替えてくれる。いわば、体がPlan(結果を出す計画)とSee(改善)の部分を自動的にやってくれて、Doだけやっていれば結果が出るものと勘違いする。