SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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感覚の相対性と、現実の絶対性

人間の感覚は相対的である。例えば暗い所から明るい所に来た時、眩しく感じる亊や、黒人の白い歯が眩しく感じるのは、人間の知覚(脳)が、相対的な比較を常にしているからである。

故に特に何もなければ、大抵の人達の評価は相対的である。評価が相対的なのだから、当然、絶対的価値がそこにあっても、それが普通に存在すれば、当たり前のものとして捉え、特に気にしないのだ。

しかし、地震などが起きて、水などが手に入らないと、人は水の絶対的価値に気づくのである。それは、それがない状態と比較できる状況になり、相対的な差が生じたからである。普段当たり前と思っている事は、この相対的均衡によって成り立っている。その均衡が破られたとき、その価値をやっと知覚する様になる。

私が歴史などを見る時、大事だと思うのは、その状況を想像する事である。つまり、この相対的均衡が破られた状態、地震や戦争などで、何が出来なくなって何が起こっているのか、頭の中でイメージするのである。水が手に入らない、医療品が手に入らない、食事もとれない、そうなると抵抗力が落ちて、病気で死んでしまう老人や子供、負傷した人を助けようにも助けられない状態、そういう理不尽きわまりない状況を想像し、「これはマズいな」と考える訳である。

つまり、状況の絶対性を意識するのである。水がなくなったらどうなるのか、医療品がなくなったどうなるのか、食料がなくなったらどうなるのか、そういう亊を組み合わせると、水や食料が足りず、抵抗力が落ちて風邪をひく人達が増えるが医療品が足りなくて、肺炎を起こして死ぬ人が現れる。しかも、抵抗力の弱い子供や老人から死んでいく。

普段、幸せな状況を当たり前と思っている感覚では、モノの大切さは分からない。相対的な均衡が保たれている状態では、モノの価値は分からないのだ。その均衡を絶対的な解釈に基づく、想像力で壊してみて、その価値が分かる。そういう意識で温暖化の問題を捉えると、その重要性がよく分かるのだ。