SKY NOTE

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日本の携帯電話にみる日本社会

iPhoneと比べて、日本の携帯電話には一貫したポリシーの様なものが感じられない。色々なものを混ぜ合わせて、中心がどこにあるかよく分からないのが特徴だ。これは、日本社会の縮図とも言えるのではないかと思った。

一貫していないので、どこに何があるのか皆目見当がつかない。黒船来航の時のペリー提督の様な苛立ちを感じるのが日本の携帯電話である。母が携帯を買ってきた時、私はその操作を説明するのには骨が折れた。

どこがどのように悪いのかは、インターフェースの設計が場当たり的で、一貫していないからだとすぐに分かった。MacOSというお手本があるのに、このような酷いGUIを採用するあたりに、日本ってこういうところが駄目だな〜と感じた。

つまり、色々な部署が作ったものを、それを安易に混ぜて、こうなりましったって出来なのだ。ちゃんぽんみたいだな。カオス的な香りがするので闇鍋というべきだろうか?

私はインターフェースの重要性に対して、こういう比喩を良く使う。どんなに優れたエンジンを搭載していても、ハンドルが△だったら使いにくくて最低の車になる。日本の携帯はまさにこれなのだ。

なぜ、日本がそうなってしまうのか?それは問題点をはっきりと言う亊を悪い事の様に評価する習慣があるため、あらゆるモノが中途半端になっているのではないかと思う。いいものを作る時は、駄目なものは駄目、いいものはいいとハッキリ評価を下さないと中途半端なものしか出来ない。日本の携帯とはそういう中途半端の結晶の様な気がする。つまり、日本社会の縮図なのだ。

今の日本って、悪平等なんだな。いいものと悪いものが混同されている。なぜそうなっているかというと、想像できるのは個々の評価基準を整理できないから、評価がゴチャゴチャなんだな。議論をする時、色々とか、人それぞれとか安易に言っちゃう。そんな具体性のないことを言われても答える方に無限の答えが生じる訳で、評価がぼやけてしまう。すると、筋の通った事は何も出来なくなる為、いいものも悪いものも同列に扱われてしまう。

いいものと悪いものを同列に扱えば、いいものだけを選んで物事を良くする事は出来ない。中途半端などうでもいい結果しか残らない。だから、使いにくい携帯が生まれるんだと思う。駄目なものが温存されてしまって、よいもののメリットを相殺してしまう訳だ。高度な機能があっても、それが生かせないインターフェースでメリットが相殺されてしまう。

単にバランス(悪平等)をとるだけじゃなくて、広い視野で俯瞰した上でのバランス(公平)がなければ大人じゃないんだ。バランスだけをとって俯瞰していない意見が目立つ。これは大人の真似をしているだけに過ぎない。子供なんだ。その子供じみた論理で自分が大人と自惚れているのは恥ずかしい事だ。そういう事を恥だと思う事が出来れば、日本もiPhoneみたいな筋金入りの携帯が作れると思う。