理由を言ったからといって理解されるわけではない。いくら丁寧に理由を言っても相手の意見の尊厳(存在意義)を否定してしまっては、尊厳を否定されたことが怒りに変わって理解してもらえない。
怒りは無理解を生む
極めて簡単で分かりきったことで、否定する妥当性はあっても、それだけで相手の意見の存在を否定するべきではない。間違っているものをデリートしたい気持ちよりも、相手の存在の方に目をむけなければいけない。
なぜなら、人は尊厳を否定されると死ぬほど苦しむことがあり、そういう苦痛を、ただ正しいからといって与えてはならないからだ。