SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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ハッキリ言わない日本のマスコミ

世の中、名前や見た目だけで評価されると思う事が多い。だが、振り返ってみると、名前や見た目ほど分かりやすい情報もないのだ。それらは最も簡単な認識方法であり、水が低き所を流れる様なものなのだ。また、中身を理解する為の情報が貧弱な事も影響している。たとえば、ニュースなんかでGDPが史上最低のマイナス3.3%なんて言われても、GDP(国民総生産)が一体何兆円なのかという実数が全く報道されない。あくまでも前年度比の相対値だけなのだ。相対値がマズいのは実体がどの程度なのか分からない事だ。相対値だけだと、去年の数値と比較しているだけで、実際の規模が理解できないのだ。アメリカの報道を見ていると、そういう実際の数字がよく出てくるが、日本ではなぜか実数が出てこない、相対値だけなのだ。このように日本のマスコミは、物事をオブラートで包んだり、数字をハッキリ言うという事が出来ない。
 
物事の中身の部分の情報をハッキリと報道していないのだから、上っ面だけで人々が物事を判断していても、それは元となっている情報が上っ面をなぞったものなのだから、人々の判断基準がそれ以上にならないのは仕方がない事だ。インターネットで調べれば、そういった情報は手に入るが、誰が好き好んで難しい経済の情報とかを調べたりするのだろう?
 
ある一つの情報がクローズアップされると、それにみんなの関心が引き寄せられるのも、実際は具体的な中身の情報(相対値ではない一次情報)が乏しいので、上っ面の雰囲気で人々が判断しているのだと考えると筋が通るのだ。つまり、報道内容が曖昧すぎるので雰囲気しか伝わっていない、だからそれを基準に物事が判断される。具体的に表現されているようでいて、実際は相対値だけだとか、物事の実態を示す情報が極めて乏しいのだ。
 
報道というのは日本的コミュニケーションでやっては駄目だと思う。なぜなら、日本的コミュニケーションは、同じ価値観を前提にした極めて曖昧なコミュニケーション手法だから、違う価値観の人間に伝えるつもりで具体的に表現しないと曖昧さだけが伝わって、それが雰囲気を作って人々が流されるという様な状況が続くのは、非常によくない。曖昧であるが故にハッキリとしたアクションになりにくい情報なのだ。
 
日本ではデモも暴動もない、それは国民性が平和だからという事もあるが、ハッキリしていないからこそ、意見の表現自体も曖昧になっているのだと思う。そういう社会が健全であるかというと、極めて不健全だ。
 
曖昧すぎて、規模の違う事も混同されてしまう。本来は大きな問題を認識し、優先順位をつけて意思決定を促すべきなのだが、規模の実数のない曖昧な報道では、感情論だけがクローズアップされて、あらゆるものがアンバランスに判断されてしまう。選挙で何度も裏切られても最終的には自民党に投票するという合理性に著しく欠けた判断が繰り広げられるのも、この曖昧さにあると思うのだ。
 
客観的に考えれば、自民党を選ぶ理由はどこにもない。これ以上、この政権が存在する事すら、この国にとっては危険だ。間違った政策ばかりをしている。だが、それが間違っていると私が言った所で、それが他人に伝わるかというと、伝わらない。なぜなら、名前や見た目が、このサイトにはないからだ。上っ面で判断する事に慣れ過ぎた人々には、中身の事を書いても、伝わらない。
 
アイディアを書いても、何の反応もない。このブログのアイディアがもし、それ相応の立場の人が言えば尊重されるだろうが、名前や見た目を気にする社会では、どんなアイディアも、肩書きや見た目が悪いと駄目なのだ。そうなると、特定の階級の人しか主張しても意味がない事になり、民主的とは言えないのだが、この国の状況は、まだその程度でしかないのだと思う。(封建社会で殿様の言うことを聞く農民や、地主の言う事を聞く小作人のレベルの意識から脱していない:主権という概念すら認識で来ていないのだと思う→日本は、政権交代という主権の行使を殆どやっていないから、主権の意味する所が今イチ分かっていない、私も外国の事例で知っているのみだが、システムがガラリを変わる事は分かる。立場が違うからね)
 
インターネットを見ても、批判ばかりで提案するサイトは少ない。文句を言うだけで前に進む議論が何も進まないのは、それだけ考えている事が建設的でないのだ。
 
皆、政治なんて難しいから誰かが考えてくれればそれでいい、自分は忙しいからできないと思っている。だが、それは無責任というものだ。民主主義を理解していないと言っていい。誰が正しいことを言っているのか、それは、中身が分かっていなければ出来ない。
 
評価者がいなければ、どんなアイディアも意味がないのである。優秀な評価者がいてこそ、優秀な意見が通るのである。特に民主主義ではそうだ。ガロアの数学は現代の科学に多大な影響を及ぼしたが、それを評価するものが世の中に一人もいないと認識したとき、彼は自分の存在の無意味さを感じ、決闘に及んで死んだ。ガロアという天才的な数学者ですら、評価者がいなければ、存在を無意味にされてしまうのである。本来は偉大であっても。
 
優れた評価者がいてこそ、優れた人材を登用できる。そのことを考えると、曖昧な報道がいかに日本の政治を駄目にしてきたかという事がよく分かる。
 
つまり、「無能政治」のルーツは「無能報道」にある。よって、この国を正す為には、まず報道を正さねばならない。
 
良い報道がされていれば、世論調査で「よくわからない」という項目が数十%を超えるという様な惨憺たる状況などない筈なのだ。何がいいか悪いのか、良い報道であればハッキリと主張できる筈。それがないには、報道が駄目な証拠である。