SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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神とは卑小なる人間の夢

最近のアニメや映画を見ていて思った事は、「人の運命を操る」というストーリー設定が多いという事。その流れは、DEATH NOTEから始まり、現在では深夜アニメCなどに継承されている。こういったストーリーの中で、人は神にでもなったかのような様な全能感と同時に、その力に対する畏怖を感じる。
 
そう思った時、神というものは、そういう願望から生まれたものではなかったかと思うようになった。神と対極にあるのは、非力で卑小な人間そのものである。非力で卑小であるからこそ、絶大で偉大な存在に憧れる。即ち夢だ。祈りとは何か?夢を見る事ではないのか?と思う。しかし、人間はその夢によって動かされ、世界を変えてきた。故にそれは蔑む事の出来ないものである。夢とは、その人の持つ最大級の目的であり、その人の存在、尊厳に関わるものとするのならば、神もまた同じではないかと思う。
 
人によって夢が違うのは当たり前だ。その夢を否定する事は出来ない。他人の夢を否定する事が出来ないように他人もまた自分の夢を否定する事は出来ない。それが信教の自由という事かもしれない。つまり、人間の夢=神なのだ。つまり、憲法で信教の自由を定めたというのは、卑小な人間の夢、つまり神を否定する事は、憲法で否定されるという事だ。つまり、夢を守る権利が憲法によって保証されているというわけだ。
 
もし、アメリカがドリームを大事にする国ならば、人間の根源的な夢である。多種多様な神に対しても、同様に大事にしなければいけない。なぜなら、神もまた人間の夢でしかないのだから。