SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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自然をなめない

自然をなめてはいけないと言っても、なめてしまう人間もいる事だろう。なぜなら、恐さを知らないから、小さな小川ですら人を1人殺すのは造作もないパワーを持っている。それが大地震であれば、尚更である。あらゆる事に注意を向け、自分の想定の範囲内で物事が起こるなどという神にでもなったような傲慢さは捨てる事だ。それが卑小な人間の、自然に対する正しい姿勢である。
 
例えば、第3世代の原子炉は、電源が無くても、原子炉上部に溜めておいた水タンクから自然に落ちてくる水によって冷却されるとあるが、私に言わせると、そのメカが地震のパワーによって壊れてしまえばダメである。その想定は、あくまでも、地震が来た時に壊れないという前提に立っている。問題が起きる時には、大抵、その想定を上回るパワーを自然が持っている時である。その可能性は、充分あり得るのだ。人は論理的に(言葉の上で)正しい事が現実的にも正しいと思ってしまうところがある。確かに電源がなくても、上から下へ自然に落ちる水が使えれば、大丈夫だと思うだろう。しかし、実際は、そう簡単には行かないだろう。振動が強過ぎれば、人間が作ったメカなど簡単に壊れる。メカが壊れれば、自然に流れる機構が動かず、結果的に原子炉は冷却されずメルトダウンを起こす。そういうところまで考えないと、自然に対して現実的ではないのだ。概念上の正しさに固執すると、現実のもつ厳しさを理解できなくなる。自然というのはそこまで厳しいのだ。人間程度の理知で、それを超えるなどという発想自体がおこがましい。そう考える位が正しい認識だと思う。

そういう慎重さがないと、こうなるという事例(福島第一原発3号機爆発)
 
自然を相手にする時には、相手が巨大なパワーを持っており、そのパワーに対し、人間はあまりにも非力であるという現実を直視しないとダメだ。経済合理性を考えれば、自然に逆らう事よりも自然を受け流す方が合理的である。逆らおうと堤防を造ったとしても軽々と壊された。そこから考える事は、地域ごとに最適化された警報情報を流すシステムや人工的な高台を用意して素早く「逃げられる」システムを作るべきだと思う。あと、常にこちらの想定を上回る事を見越して、慎重に行動する事が求められる。自分の計算内に相手が収まってくれるなどという甘さなど捨てる事だ。そうでないと死ぬ事になる。
 
だが、人間は危機感を持ち続ける事が出来ない。なぜなら、疲れてしまうからだ。そこで、どんな時が危ないかという事に注意する事が大事だと思う。例えば、今回の東日本大震災の場合には、大きな揺れがあった。その大きさから、危険度も高いと想定するべきだったと言える。

この映像を見れば、そういうことが言葉だけでなく、現実として認識できると思う。危機(揺れ)が大きければ、これは命の問題だと定義して、とにかく逃げることを最優先に考えるべきだ。地震の後片づけなどしているヒマではないのである。
 
今回の記事の言い回しは、とても厳しい言い方だが、自然のもつ厳しさを言う場合、そういわざる負えないという状況である事に留意していただきたい。