SKY NOTE

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iPadの可能性

iPadが4月後半に日本で発売されるということで、iPadの可能性について考えてみた。私は、iPadが日本の保守的な出版社を抱き込めないので、普及は限定的だと主張されているのは、いささか、考え方が古いかもしれないと思った。
 
1.読者にとって最適なiPad

  • なぜならば、iPadは本を読むのに最適なデザインであり、従来のPCよりも格段に読書環境としてはリッチなのだ。視野角の広いディスプレイ、紙を表示するのに適している縦方向に広い画面(PCの画面は縦に狭かった)そして、アンチエイリアスされた高品位な文字の組み合わせとタッチパネルによる直感的な操作性、この組み合わせが読書体験をリッチにする。つまり、読者にとって最適な環境と言えるのだ。

 
2.著者にとっても利益の多いiPad

  • 同時にAppStoreなど、iPadには優良な決済システムがある。従来、印税は10%に対し、70%に相当するであろうiPadの収益構造からみて、本を安く売っても今までよりも高い印税が手に入る。例えば420円のコミックを書いたとすると、印税は42円程度、しかし、iPadにコミックを書けば、294円にもなる。コミックを100円にしても42円よりも高い70円の利益が出てくる。

 
3.需要と供給の両面にメリットのあるものは確実に伸びる

  • 読者には、最適な読書環境を、著者には高率の印税を提供できるインフラがある。この両方が上手くコラボレーションするのに時間はそうかからないだろう。いいものが書けるのならば、iPadで売ればいい。私は、そこら辺の本よりも、ブログやホームページの内容の方がずっと面白いと思うものがある。そういう人がiPadで日本のレガシーな出版社を通さず独自に本を書き始めたら…充分売れると思う。つまり、これからは流通を制するものが勝つのではなく、面白いものが勝つのだ。このパラダイムシフトに気づく事が出来ないとiPadの可能性を正確に把握する事は出来ないだろう。

 
4.優れたハードウェアが必ずしも成功するわけではない...確かに...でも...

  • iPadは優れたハードウェアなだけなのだろうか?iTunesという優れた決済インフラを既に持っていて、しかも、そのインフラの利用料は30%、他の流通では90%とられてしまう。著作権者にとっては利益率が10%から70%と、7倍になるものを放っておくわけがない。過去に失敗したベータは、ビジネスモデルを構築できなかったから失敗した。あれはハードだけが優秀だった。しかし、iPadはソフトを作る人間にとってメリットがある。しかも、本を書くと言う作業は、映画やゲームなどと違って、個人で出来る事が多いのだ。つまり、供給者が常に出版社でなければいけないと言う事はない。個人でも充分にいいものを作れるのだ。そこから考えると、出版社を抱き込めないからダメだと言うのは愚問と言える。なぜなら、出版社のみが良質な本を供給するただ一つの存在ではないからだ。本の場合は映画と違って供給者は個人でもいい。よって、iPadが出版社を抱き込めなかったとしても、必ずしも致命的ではない。むしろ、個人出版が台頭する事によって、従来の出版社が厳しい状況に陥る可能性が出てくるのではないかと考えられる。恐らくそのような局面になる前に出版社は動くだろうが...

 
5.大抵新しいものが出てきた時、いつも非難されるが、その根拠は陳腐なものが多い

  • iPhoneが出てきた時、タッチパネルの操作性が悪いから、携帯電話としては売れないと言っていた。しかし、実際は売れた。なぜなら、従来の携帯よりもタッチパネル型は柔軟性が高く、遥かに面白かったからだ。マイナーな市場に収まるだろうと言われていたが、実際にはメジャーだ。タッチパネル型は、一大勢力を築いている。例えば、絵文字が使えないとか、なんだかみみっちい文句があったが、「そんなもの、ソフトでどうにでもなるじゃん。何で問題にするのかよく分からん?」みたいな、そういうどうでもいい事で文句を言う人が必ずいる。しかし、大抵は本質から外れていたり、重要ではない事ばかりだった。
  • iPadで重要なの事は、本を読む人書く人にとってiPadが最善の選択であるかどうかが重要であり、その点において、読む人にとって最善の表示品質と、書く人にとって最善の決済システムを持っているiPadは優れている。こういう事を言っても必ず非難してくる人間は必ずいるのだが、彼らは何が言いたいのかと言うと、私はお前よりも偉いんだと言いたいんだと思う。つまり、偉い俺様が否定するものはダメなものなんだ。それを肯定する奴なんて甘いね。今まで何度、失敗してきたか分からないじゃないか?でも、過去の失敗ばかりを惰性的に見て、過去の何が間違っていて、何が正しかったか?と過去の失敗を分析する事なく、ただ、前も失敗したから今回も失敗するだろうという安直な発想は、別に有能な人間でなくとも出来る事だ。偉くも何ともない。ただの惰性に過ぎない。
  • 何が重要で何が必要なのか、それが分かっている人間が偉いのだ。ただ、過去を知識として「知っている」だけでは偉いとはいえない。過去を分析して、何が世の中に必要なのか「分かっている」人間が偉いのだ。知っているだけで威張れるのは記憶力だけでもいい点が取れるペーパーテストくらいだ。

 
6.iPadの何が凄いのか?

  • 私が凄いと思うのは、iPadのインターフェースが機械オンチの母にも使える可能性を見いだしたからである。これが何を意味するのかと言うと「誰でも使える」つまり、Universal Computerと言えるのである。誰でも使えて、紙に近い表示品質を持つ事は、紙でやっているあらゆる事がiPadで出来て、しかも、それが誰にでも使えるという可能性である。パソコンオタクには、まず理解できない可能性だが、これは、GUIを搭載したMacと同等の革命なのだ。MS-DOSしかなかったとき、PCは一部の人のものだった。だがGUIによって間口が大幅に広がった。しかし、お年寄りが使えるようにはならなかった。老若男女すべてが使えるまでにはGUIだけではダメだったのだ。しかし、タッチパネルと高品位なGUIの組み合わせが、画面の中のものを「触れるようにした」事が、革命的な変化を生む。画面の中のものを直接触れて、何をしているのか高品位なGUIでハッキリ分かる状況はコンピューターを「メディア」にする。コンピューターに足りなかったのは誰にでも使える間口の広さである。その広さがあってこそ、「メディア」として一人前になれるのだ。iPadはメディアとして、優れた特性を持つ、表現力が高くて、誰にでも使える間口の広さを持つ。機能的に同等のものがあっても、それにはメディアとして必要な間口の広さと言う点で問題があった。その問題を解消したのがiPadである。ペーパーテストレベル(知識レベル)の発想で威張っている人間は、こういう本質的な事が分かっていない。だから、機能的に同等ではあるが、本質的に違うものと混同して、大して変わらないと言ってしまうのである。常に現状のシステムに対して問題意識があるからこそ、その問題を解消したものが出てきた時、価値を理解できるが、そういうものを持っていない人間にとっては、それが何が凄いのかよく分からないのだ。だが、実際に触ってみれば、その価値が分かる。特に年老いた親などがPCは使わないのにiPadを指して「これは使える」と言い出したら、それだけで、口コミで広がっていくだろう。その時、分かるのだ。これが従来のものと何が違っているのかを...そして、それが革命であると言う事を。