SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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不合理を解析してみる

合理の物差しで物事を捉えると、その外の発想が理解できない。明らかに不合理で無駄があり、問題のある事を必死になってやる人間の心理は、端から見ると理解できない。理解できないので、何か深遠なる発想がそこにあるのかと思ったりもしたが、そういう発想で生み出された行動の結果は惨憺たるものである事が多いので、多分、深遠なる発想ではなく、何か別のものなのだと思う様になった。
 
無意味に意味を見いだしてしまうのはなぜかと思う。理性が働いていれば、やらない事を敢えてやる理由はどこにあるのか?そういう事を考えると衝動というのがある。衝動はある意味、目先の利益を追求した結果である。人間の感覚というのは、目先の利益に強い刺激を受けるのだという。
 
つまり、この感覚の特性が、長期的に見て不合理な事であっても短期的に見れば合理的に見えてしまう。つまり、何らかの形で短期的発想に支配される状況が生じ、それが長期的合理と衝突したとき、その短期的発想が勝利してしまう状態が、不合理な事を人間がしてしまう理由と定義してみる。
 
つまり、短期的には合理的に見え、長期的に見れば不合理という状況が、不合理を生む。人間が短期的発想に支配されるのは恐怖が介在している事が多い。つまり、恐怖が人の視野を狭めてしまう。または、ボールに集中して、道路を注意しないでわたろうとする子供の様に強い欲望が、周辺の状況を無視してしまう。
 
そこに強い欲望なり、恐怖が介在すると、人はそれに支配される事により不合理を実践してしまう。そう考えると、トラウマとかフラッシュバックとか、そういうものがあれば、不合理な事ををしてしまうと考えてもおかしくはない。多分、不合理というのはそういうもので出来ているのだろう。
 
そして、私が他人の恐怖や欲望を計り知る事が出来ない以上、私が他者の不合理な行動を理解する事は難しいだろう。