SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

理解する事は、自分に教える事

物事を理解するという事は、それをいかに自分に教えるかという事でもある。
 
よく他人に教える事でより深く理解出来るという事を聞いた事があるだろう。それと同じで、自分にもそれが当てはまる。それを説明する為に、駄目な先生と良い先生を比較して説明する。
 
・良い先生は、生徒の理解度に応じて、教え方を変える。
・悪い先生は、生徒の理解度に関わらず、教条主義的に教える。
 
さらにもっと悪い先生は、生徒が自分のヘボイ教え方で理解出来ないのに、それを生徒のせいにする。つまり、自分の実力のなさを他人に転嫁し、生徒を責める訳だ。生徒にそういう事をする先生は、悪い形の心を生徒に植え付ける。それは勉強ができない度に自分を責める癖をつけてしまう。そうなると、出来ない問題が生じる度に常に責め苦にあえぐ事になり、勉強自体が嫌になる。
 
だが、本当にやらなければいけないのは、自分を責める事ではなく、自分が何が分からないのか具体的に把握し、そこにしぼって学習する事だ。良い先生が教える様に自分の状況を把握して、それに合わせて勉強の仕方を変えるのだ。例えば、英単語の勉強をするときには、分からなかった英単語をチェックして、次に勉強するときには、その英単語を覚える様にする。そうやって、状況に合わせて柔軟に自分の学習方法を変える事で、理解度が高まる。悪い先生は、生徒の状況を把握せずに、それを理解しない生徒を責めるばかりで、何も建設的な事をしていない。彼らが与えるのは絶望と自責の念で生徒を苦しめる事だけである。
 
そうやって学習方法を変えるというのは、結局、自分に教えるという事でもある。つまり、物事を理解するときのプロセスを重視するのが良い先生で、結果だけを見て、ただ非難するだけなのが悪い先生なのである。物事を理解する事が上手な人は、同時に自分に対して優秀な先生であり、プロセスを重視する人でもある。
 
ただし、天才は特別で、才能で理解出来る人間は、ある意味、教える必要がない。これはあくまでも凡人の学習方法である。天才はそれを超越している。天才の場合は、見れば分かるみたいな所があり凡人とは別口で扱わないといけない