SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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言葉に服を着せる

自転車を走らせていて、ふと思った。言葉にも服の様なものがあるのではないかと思うのだ。人は服装から相手を見る事がある。綺麗な服を着ていると高く評価される。言葉にも同じ様なものがあるのではないかと考えてみると、私の飾り気のない言葉は、身だしなみをあまりしていないボサボサ頭のキャラであり、あまり尊重されないものかもしれないと思う。
 
言葉の見た目と考えると、ボールド体とかフォントなどのタイポグラフィを思い起こすが、私が言う言葉の服は、主に言葉の使い方、つまり、文章のスタイルに起因するものである。つまり、綺麗な言葉遣いでスマートにまとめられている文章は、服に直すと礼服であり、着こなしもバッチリという事になる。
 
デザインという観点で言えば、小さなバランスのズレが全体に大きな影響を及ぼすので、些細なのようでいて、実は非常に重要だったりする。言葉に誤字脱字があるのは、汚れている服を着ている様なもので、避けなければいけないだろう。
 
また論理の進め方も、丁寧だと落ち着いた風格をイメージさせるのかもしれない。そういう意味で私の文章を服に直すと、ボサボサ頭で、服は所々汚れていて、ジーパンとボロシャツみたいな感じかもしれない。これだから他人に尊重されないのかも...と思ったりもする。
 
短い言葉で簡潔にまとめられた文章は知的なイメージを生むから、私の冗長な文章はさしずめ、バカに見えるのかもしれない。そう考えると、もう少し言葉を磨かないといけないのかもしれないと考えたりもするが、どうやればいいのか分からないのが、私の国語力の限界と言った所か...
 
昔、国語の先生にこういわれた。君は非常に丁寧な考え方が出来るが、それを他人に説明する事を苦手とする様だ。私としては、きちんと丁寧に説明している筈なのだが、あまり巧く伝わったという経験がない。私の意見に対する他人の反応は、無反応が多く、何がどう悪いのか全く分からないのだ。
 
中学生の時、成績が優秀な女の子の隣の席になって、その子と話をしたときは、私の言った事を理解してくれてうれしかったが、その時以来、あまり、言った事をきちんと理解されたという実感がない。時折夢でうなされるのは、声を魔女に奪われた人魚姫の夢を見る亊だ。声が出ないので他人に伝えられないのだ。
 
喉を掴んであぶくを吐く自分に苦しみながら起きる。男友達は、私の論理を理解するのには繊細さが足りず、女の子は繊細だが難しい事は嫌いな人が多い。だから、女の子で、勉強ができて、難しい事がきちんと分かる人がいいと思ったりもする。率直に言って私の言っている事なんて全然難しくないのだが、難しいと言われてしまう。多分、長ったらしくて説明が要領を得ないからであろう。
 
また、相手が聞きたい事もよく分からない。何が分からないのか聞いても、無反応な事が多いので、改善点が見いだせない。そんなに分からないのかと思ってしまうのか、それとも単に馬鹿にされているのかよく分からない。
 
要するにデータの絶対量が足りないので、改善点が見いだしにくいのだ。