基本的に間違った報道がされるのは、日本のマスコミの多くが厳密な検証プロセスを持っていないからである。つまり、イメージだけで突っ走ってしまう。おそらく、ジャーナリズムに関する体系的な教育がされていない故だと思う。
報道の歴史などに裏付けられ体系的な知識の欠落が、結果として日本を駄目にする。本当の意味での情報エリートが存在せず、もっぱら大衆にこびへつらう情報ばかりが流れる。それでは駄目なのだ。なぜかというと、それは食事に例える事が出来る。
大衆にこびへつらう報道を食べ物に例えると、ケーキやステーキなどである。誰もがうまいというが、食べ過ぎると栄養が偏り病気になってしまう。これに対し、本当の報道とは、栄養価の高くバランスがよい食事であり、時には苦いピーマンや人参を食べなくてはいけない。つまり、時には大衆にとって耳障りのよくない事も書いたり、見せたり、聞かせないといけないのである。
そういう事が出来てこそ、本当の意味でバランスのとれた報道になるのである。日本が間違った道を歩いてしまうのも、この情報的に栄養バランスの悪い報道のせいなのである。間違った報道による。間違った行動が、この国を苦しめているのである。
何が間違っているのか、最近では陵辱系アダルトソフトの規制、これは180度間違った報道がされていた。私は警察の資料や日本語で書かれている各国の性犯罪などを調べた結果、仮想的なポルノが影響と見られる性犯罪は存在しておらず、むしろ、仮想的なポルノがある日本の方が、そういうものが規制されている国よりも性犯罪が少ない事を知った。
- 子どもポルノ
- 各国の性犯罪の件数が書かれている。ちなみに日本はG8中件数が最低である
- http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok6_porno.htm
つまり、TBSや読売新聞や日本ユニセフが言っている事は、真っ赤な嘘であり、イメージだけで突っ走った結果だとわかった。実際にはこういうアダルトコンテンツの存在が欲望の受け皿となり、性犯罪を防止している事がわかった。(以下のblogに事実が記されている)
- 日本のアダルトゲーム叩きが、フェミナチ権勢拡大と政治に利用されてる構図
- http://kitaharak.exblog.jp/11534629/
- 「レイプレイ」叩きに見るポリシーロンダリング(1)
- http://blog.sakichan.org/ja/2009/05/16/policy_laundering_on_rapelay_case_1
私は、彼らの行いを自分の常識に照らし合わせてみて、検証した。「エロ本をなくせば男の性欲はなくなるのか?」まったくナンセンスな発想である。科学を勉強した人ならば、性欲は食欲と同じで生理的な欲求であって、その起源は人間の生存本能から生じるものである。故にポルノをなくしたからといって欲望が抑制される訳ではない。
むしろ、ポルノのような仮想物にぶつけられている欲望が、実物に向けられる事を恐れるべきだというのが、統計の分析から得た結果だった。明らかにポルノを規制した事によって、性犯罪が急激に増えている。それでも、他国よりも日本は性犯罪が少ない。それはアダルトゲームをはじめとするエロコンテンツが豊富にあり、それが結果として、性犯罪を抑止しているからだと考えると説明がつく。
- 犯罪白書の性犯罪の項目より抜粋
- 犯罪白書 1997年〜2006年 性犯罪はP.5
- (上段から 認知件数、検挙件数、検挙人員 各項目:1997年〜2006年)
- http://www.moj.go.jp/HOUSO/2006/hk1_7.pdf
イメージだけで突っ走ると、イメージと現実が逆のとき困るのだ。そこに偽善が生じる。つまり、耳障りのいい正義が本当は「悪」だったという事もある訳だ。これはその典型例である。イメージに踊らされ、ろくに検証もせず報道した読売新聞やTBSは恥を知るべきである。また、前にも同様の過ちを犯し性犯罪を増やす愚行を犯したのにも関わらず、何ら反省をしていない日本ユニセフも批判の対象になるべきである。むしろ反省するべきは彼らの方である
偽善を憎むのは、偽善によって生じる危険を理解しているからこそである。イメージで突っ走る連中は、自分がよければそれでいい連中であり、最低である。公共の利益という観点から見て、TBSや読売新聞、そして日本ユニセフは落第である。私利私欲の結果が過ちとなるのである。日本ユニセフは献金目当てだし、読売新聞は部数、TBSは視聴率、それを生み出すためのイメージを彼らが欲しているだけであって、世のため人のためという公共心は全くないところに私は呆れるばかりである。
もし、彼らに公共心があるのならば、自らの行いを常に検証するはずである。自分達が正しいかどうか心配になるのは、公共心のがある人ならば、誰でも持つ心だ。
善人ほど、自分の正しさに疑念を持ち、苦しむものである。彼らの問題点は、最初に己の正しさありきで、そこに何ら疑念を持たない(つまり、検証しない)事から生じる過ちなのである。それは、料理の下手な人に似ている。彼らは現実の味見をしないから、ヘタクソ(偽善者=悪)なのだ。
だから、そういう彼らの情報によって作られた現実はマズいのだ。味オンチならぬ現実オンチだから。
この問題に関する。このblogの記事のリスト(記事が多いのは私が偽善者が嫌いだからである)プロフィールにも、意味のないルールで人を苦しめる人と書かれているように、私の最も忌み嫌う人種であると明記しおく。
http://d.hatena.ne.jp/skymouse/searchdiary?word=%CE%CD%BF%AB%B7%CF&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail