SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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欲望とモラル

陵辱系ゲームの話で取り上げた偽善について述べる為に、欲望とモラルという目線から論じてみたい。
 
1.「エロ本やエロゲーを規制すれば、性欲は抑制されるか?」
否、性欲が抑制される事はあり得ない、それは生理的な欲求であり、食欲と同様のものである。性欲をコントロールするのは、理性であり、その理性を維持するのには、欲望と理性のバランスを維持する必要がある。つまり、何らかの形で欲望を吐き出す手段を作らなければ、理性の防波堤はいずれ崩れてしまう。これが現実。奇麗事を言う人は、何でも規制しようとするが、そういった無分別な規制の先には何らかの形で、欲望による理性の破綻が生じる。(例:禁酒法/密造酒が広まり、マフィアの収入源になった。つまり、禁酒法でマフィアが潤い、誰もが密造酒を買うという理性(モラル/規律)の破綻を生んだ)
 
2.「仮想的な女性であっても可哀想ではないのか?」
可哀想と考えるのは、人間として自然な感性であるが、感情的になって現実を無視してはいけない。1で述べた様に人間には欲望があり、これはなくならない。その欲望を何らかの形で吐き出す術を用意しない様なアンバランスな発想を感情的に認めてしまう亊の帰結は、現実の女性を危険にさらす事になる。つまり、客観的に考えると、それはCGであって、現実の女性ではない。感情的に考えた結果が何をもたらすかは、仮想的な女性を守る為に、現実の女性を危険にさらすという矛盾が生じる。そういう意味では、「仮想的な女性は可哀想で、現実の女性は可哀想ではないのか?」という質問をするしかないのだ。これは、大抵の偽善者が、自分の行ないの帰結が何をもたらすか想定できていない為に起こる矛盾である。こう言う冷徹な判断は嫌われるが、皆にいい顔ばかりをする偽善者よりも、多少顔が潰れても本当の事を言う「まともな人間」でありたいというのが私の考え方である。つまり、二つの事実から冷徹に判断しているのである。(私がいじめらていた時に思ったのは、自分がストレス発散の為の道具にされていると感じたものだ。当時の私は「実物でストレス発散しないで欲しい」と思った。つまり、ゲームや何か他のものでストレスを発散してくれればいいのに..と考えていた。だから、陵辱系ゲームがあったとしても、それによって実際の人が救われるのならば、それはそれでいい事だと私は思う)
 
1.「CGは人ではない」
2.「欲望はなくならない」
 
よって...
「理性のみに頼るのは食欲を否定するのと同じ」→不可能だよね
 
これが現実主義というのだ。幻で欲望が果たされるのであれば、それはそれでいいのだ。私達が戦争映画やホラー映画で人が死ぬのを見て楽しんでいるのと何ら変わらない。本来、人が死ぬ姿を見て楽しむのはモラルに反する行為である。だが、それは現実ではないからこそ許される事なのだ。陵辱系ゲームも同じ、現実ではないから許される事。エロ小説だって、エロ漫画だって同じ事。これらを規制する人の恐ろしい所は、規制すれば、そういった欲望の問題が解決すると安易に考えてしまう所。現実と空想を混同しているのは、むしろ彼らの方であって、とても危険だ。彼らの概念上の正義の為に現実が犠牲になりかねない。