SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

評価と表現の区別

あるとき、ふと思った。「評価と表現は区別しないといけない」と。公平な意見を言おうとすると、辛辣になってしまい弊害が大きい事がある。ストレートな主張は、相手の尊厳自尊心を傷つけやすい。尊厳自尊心を傷つけられると人は言う事を聞かなくなる。そうなっては、いくら正しくとも、その正しさは効力(社会的な意味)を持たなくなってしまう。だから、評価と表現は区別しないといけない。
 
評価は公平であるべきだが、表現は尊厳自尊心を傷つけずに行なう術を探す事が、正しい事を行なう為には必要なのだ。行動に必要なのは調和だ。それがないと前に進まない。そういう意味で坂本龍馬は素晴らしい仕事をしたと思う。対立する薩長を丸め込んで日本を変えた。どうやって丸め込んだのか自分は知らないが、素晴らしい交渉術だと思う。言葉を選び、実利を勝ち取るのは、物事を評価する事よりも難しい。(矛盾しているからね)
 
互いの大事にしているものを尊重し、それらを調和させる工夫、そういう知恵がないと交渉は成立しない。私はそういう事は苦手で他人を説得できない。相手の大事にしている尊厳自尊心を踏みつぶして、俺が正しいと言ってしまう。だが、それでは人は動かないのだ。人を動かしたくば、その心を動かし、もり立てる事が必要なのだ。
 
正しくても、それで人を動かせなければ意味がない、ガロアは、自分の理論を理解できる人間が世界で自分しかなく、誰にも理解されなかったけれども、私の場合は、単に相手の自尊心を不用意に傷つけた事によって理解されないのだから、まだ救いがある。大事なのは評価と表現を区別し、相手のプライドをよけながら(あるいは大事にしながら)、お互いの利益を最大化するという主張が望ましい。薩長をまとめた坂本龍馬の様に。
 
人は理ではなく、利によって動く
人は理ではなく、情によって動く
 
利益と情を弁えると、人を動かしやすい。それが最も原始的な欲望だからだ。そういう意味で、評価とは理の世界であり、表現とは情の世界である。理と情の間を知恵によって結ぶ事が出来る人を私は賢いと思う。少なくとも社会で成功する人間はそういうタイプだ。(坂本龍馬は殺されちゃったけど、日本を変える事には成功した)
 
だから、私の評価で公平に評価すると...
 賢い人 :坂本龍馬
 馬鹿な人:私(うぅ...)
 
それを表現に直すと...(矛盾していて苦手だが...)
 賢い人 :坂本龍馬
 もう少し他人に気を使えば成功できる人:私(違うかも...)
 
正しい道(理)が分かっているのだから、それが実行できれば、成功する。