SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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龍馬伝「いろは丸事件」と尖閣諸島問題

いろは丸沈没の際の龍馬伝紀州藩の態度を見ていて思ったのは、祖母や義兄の私に対する態度とよく似ていた。こちらが、どんなに正当な主張をしても、一切受け付けない。私が逆らうと、「お前、ばあちゃんに逆らうのか?」の一言で終わり。どんな理屈も一切通用しない。そんな私には、商人達の言葉がとても印象に残った。「どんな理屈があっても、天下の紀州相手には通じない」と。昔の事が思い出される言葉だった。
 
天下の徳川御三家だから、何を言っても許される。何をしても許される。下の者の言う事など、聞かぬ。それがまかり通っている。しかし、龍馬伝では、海の上での事故は、国際法で裁かれるべきという龍馬達の徳川幕府より大きな筋の通し方を見て、紀州藩勘定奉行は渋々、龍馬達に賠償金を支払った。歌で紀州の船がぶつかって賠償しない事を笑いものしたのは、素晴らしいアイディアだ。パロディで人の不正をこき下ろすのは上級のコメディ。
 
通常、係争事というのは、暗くて誰もが耳にしたくないものだが、歌にして社会に広めて、笑いで、相手の不正を訴えるのは、なかなかセンスがいい。楽しい批判の仕方だ。しかも、それが楽しければ楽しいほど、相手へのダメージが大きい。武器や権力を使わず、歌という情報戦と国際的なルールという大局的な手法で、賠償金という勝利を勝ち取った龍馬達の爪のアカを尖閣諸島の問題で右往左往する日本政府の要人にも飲ませてあげたい。
 
この龍馬の戦い方は、龍馬の優しさから生まれたもの。彼の優しさが、武力ではなく歌で伝え、彼の大局観が国際法での裁定につながった。優しく広い心を持った龍馬ならではの素晴らしい策だ。
 
 歌     → 世論を形成
 国際ルール → より大きな権威で裁く
 
「少年よ大志を抱け」という言葉は龍馬が体現していると感じる。大きな志をもっているからこそ、己が小さくとも、大局観に立てば勝てる事がある。もし、不公正を認めた場合の社会の損失と紀州藩の権威を天秤にかけたとき、公の利益の方が重ければ、紀州藩は折れるしかない。龍馬は外国の軍人を連れて来る事で、それをリアルに紀州藩に伝えた。もし、幕府の船が外国の船とぶつかった時、外国が強いから頭を下げるなんてことがあっていいのか?と暗に伝えていたのだと思う。紀州藩勘定奉行も、そういう計算が出来たから、賠償金を支払った。計算が出来ない男だったら、それでも権威を振りかざして交渉に応じなかったに違いない。勘定奉行というだけあって、キチンとした計算が出来る所は、紀州藩の奉行も優れていたと思う。でも先人の賢明さに比べて、どうして今の日本の政治家は、ここまで無能になってしまったのか、それが分からない。
 
政治のプロを養成するのに龍馬の生い立ちを見ても、あまりよく分からない。ただ、龍馬の考え方を見ていると、それは温かい家族、不公平な身分制度への怒り、争いの犠牲に対する悲しみがあり、それ故に、争いによらない話し合いでの解決、文句のいい方もパロディで行い、互いの利害のすり合わせでは、商人的な計算高さも持っている。
 
・広い視野     :多くの優秀な人達と接する中で養われた視野
・深い悲しみ    :失った友への思い
・気骨のある姿勢  :守りたいものがあるから強くなれる。
・愉快さ      :温かい家庭の中で培われた明るさ
・計算高さ     :商人達との関わりの中で培われた計算高さ
・皆を包み込む優しさ:皆を愛しているからこそ、そういう発想になる。
           小さな子供の様な優しさだ。それが大人であり子供でもある。
 
全て人が関わっていて、興味深い。龍馬が人を動かせるのは、その優しさだと思う。その優しさに共感すればこそ、皆が、その言葉に耳を傾ける。相手を説得する際にも、相手の利害をきちんと広い視野で見据えた上で主張する為、説得力がある。そういう主張の出来る政治家が現れてくれたら喜んで投票するのに。