SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

考えるための自尊心

以下のリンクの記事は、無責任な論評、つまり、対案のない批判の不毛さについて書かれている。今の日本の病巣を示している内容といえ、オススメです。

 DIAMOND ONLINE:無責任論評社会なんて、もういらない!
 http://diamond.jp/articles/-/16877

読んでみて、自分と同じような教育を受けた人がいると思って読みながら、今の日本に足りないものはなにか自分なりに考えて、書いてみた。

1.今の日本に足りないのは思考力ではなく「考えるための自尊心」

  • 私は、今の日本に足りないのは、思考力そのものではなく、「考える自尊心」だと思う。基本的に一人ひとりが考える素養は持っているものの、考えるという行為に自信がない。批判されたら恐いという攻撃を極端に恐れている。しかし、間違っていれば正せばいいことであり、何も考えないで人の文句ばっかり言っているヤツの方が実は恥ずかしい。

2.「恥ずかしい」から「考える」(恥の概念から生まれる自尊心)

  • 私が考えるようになったのは、そういう恥ずかしい奴にならないためであるが、そのルーツは、義父のある一言だった。小学生の私がニュースを見て文句を言っていると、「じゃぁお前なら、どうするんでぃ」と義父に質問されて、それに応えられなかった自分が恥ずかしかったので、それ以来、文句を言う時には対案を考えるようにしている。つまり、よく考えず批判するということは(男として)恥ずかしい、つまり、尊厳の劣る行為であると教えられた。私の考える自尊心は、恥の概念から生まれている。よく考えないで文句を言うのは、幼稚でみっともないのである。

3.対案を考えることで物事が深く考えられる

  • そのことが分かったのは、対案を考えるようになってからである。対案を考えてみると、なるほど難しい。その難しいことを、ただ文句を言うだけで、対案もなかった自分が恥ずかしくなったのだ。人に苦しいことをやらせて、自分は何もしていないような無責任さと不公平さを感じた。対案を考えると物事を深く考えるようになる。そういう深さのない意見は、結局のところ、何も生まないのである。今の日本と同じである。つまり、対案のない批判は、不公平で無責任であるだけでなく、何ら建設性がないのである。この閉塞感から抜け出すためにも、多くの人がそういう「恥を知り」考える自尊心を持って欲しいと思っている。反省するのに遅いということはない、今から、そう考えていただければ良いのだ。(小学生の頃の私にも出来たのだから、皆ができないわけがないでしょう)

4.アホの行列(集団がもたらす思考停止:付和雷同)

  • もう一つ、私が考える理由となったのは、集団心理への批判であった。それを私は「アホ(思考停止)の行列」と言っている。まず、一人が並ぶ、もう一人が並ぶ、それが行列を成し始めると、それを見て、もう一人が、こんなに行列があるんだから何かあるに違いないといってまた並ぶ、そうやって延々と並んでいくのだが、誰一人として、並んでいる対象を理解しているものはいない構造がそこにある。つまり、並んでいることが何か有るに違いないというのが唯一の根拠であって、そこに何かを実際に考えて評価したという形跡は何もないのである。私は、その行列を後ろからではなく、横から見て、「アホの行列」として見る。というのは、考えていないからである。考えない人の行列、故にアホの行列と見る。問題は、考えないことによって生じる問題の認識の浅さ(甘さ)である。要するに「思考の真空状態」がそこに生じている。集団になることで誰一人として何も考えていない異常性、その状態をアホの連鎖として考え、そういう事をしているのは「恥ずかしい」から「考える」つまり、それが「考える自尊心」なのである。恥を知れば、そこから、自尊心が生まれる。公平を旨とするならば、不公平を否定するように、私は恥を知る姿勢から自尊心が生まれると考えている。そして、そこから考える姿勢が生まれる。そうすることで、皆が真剣に考えれば、前にすすめるようになる。そう思う。

5.付和雷同(思考停止)を利用してコントロールされる人々

  • テレビが、原発をなくせば、電気が足りないという。だから、テレビという「皆」が言っているんだから正しいに違いないと思い込んでしまっている人の何と多いことか、実際に私は数えてみた。(自分で調べて考えてみた)最近はインターネットという非常に素晴らしい物があり、調べる手間は非常に簡略化されている。電力会社の電力出力データもウィキペディアを見ればすぐ分かった。
  • それを見ると、実際には足りており、テレビという奴がいかにいい加減なやつかということが分かった。元々、そういうヤツだとわかっていたが、こういう嘘を世間に向かって堂々と流す「恥知らず」だというのには改めて驚きを禁じ得ない。あまりにも恥知らずすぎるという意味でそう思う。だが、電気が足りているという事を説明しても、おそらく「アホの行列」を信じる人達は、そう考えてしまう。彼らは、何かを判断しているのではなく、どれだけ仲間がいるかで物事を判断する。だが、アホの集団の中にいるというのは、安心できることではなく、実に危険なことであるし、第一、恥ずかしいことである。だから、恥の概念を持った人ならば、考えることができる。思考停止の罠にはまらない。だから、恥を知ることが必要。考えることによって生まれる根拠を伴った強力な批判は、物事を前に進ませる。どうか騙されないでいただきたい。プライドを持って考える姿勢をもってください。そうすれば、日本は前に進めます。