SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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政府の温暖化対策の欠点(過去を捨てきれていない)

政府が出した温暖化対策の欠点は、既存の産業構造を維持したまま温室効果ガスを減らすという姿勢にあると言える。

例えば、省エネ+自然エネルギーの普及+蓄電技術によって二酸化炭素をなくすことは統計から見ると可能である。だが、政府は火力発電を温存したまま、温室効果ガスを減らす事を考えている。極めて業者主体型の自民党×お役所的発想である。地球環境、人類という大きなスケールで考えていない事が如実に分かってしまう。

ミニマムな発想で作られたものは、ミニマムな結果しか生まない。政府の提案は、そういう内容であり、既存の技術の改良に過ぎない。また、火力発電など、過去を切って捨てる英断もされておらず、そんなものを短期目標ならいざ知らず、長期目標に盛り込むなど、言語道断である。(ドイツの提案を見ると、きちんとそういった英断が下されており、それに向かって着々と環境政策を実施している点は流石だと思う)

発想の出発点から間違っていると言わざる終えない。過去を捨てきれていないので、問題が指摘されているCCS(二酸化炭素貯留技術)を採用する事になる。つまり、既存の技術の延長では、なくしきれないので、その後始末に地下を利用するという事になる訳だ。

まぁ言ってみれば中途半端なコンセプトによって半端者が出てしまうので、地下に捨てましょうという。最初の発想がマズいから、その次に考えられる事もマズくなってしまう駄目な発想の典型例に見える。他の国がやっていても日本がやるべきでないのは、日本が世界の10%の地震が発生する国であるからだ。既にCCSによって人為的地震が発生したという報告が2件(日経ECO 2008年5月号)も来ており、非常に憂慮すべき内容と言える。現在の地震に対する人類の知識では、このCCSが絶対安全だと言える保証は出来ない。だから、東大の教授が大丈夫だと言っても、我々人類はそれを断言できる知見を持っている訳ではないと言えば、彼らもその言葉に従わざるおえないのだ。

犯していいリスクと犯してはならないリスクがある。
私はよく失敗をする。だから分かるのだが、失敗にも種類があって、やっても大丈夫な失敗と、やったらマズい失敗があるのだ。失敗の良いところは間違いが分かり、軌道修正が出来るところだ。やってマズい失敗は、軌道修正が出来ず、取り返しのつかない場合だ。

CCSは、この取り返しのつかない種類に相当する。なぜなら、間違った事に気づいても、地下から二酸化炭素を回収して現状を元に戻すなどという作業は非常に難しいと考えられるからだ。また、回収できたとしても、それを処理するプロセス自体が非常に組み立てにくい。後戻りが出来ないところに追いつめられる失敗は、私だったら絶対避ける。

残念な事に失敗をあまりした事のない人間ほど、そういう亊がいかにマズいのか分かっておらず、かえって失敗をする人間よりも危険な判断をしてしまう事がある。私は再帰不能になる失敗は絶対に避ける。失敗を糧に出来る場合は、いくらでも失敗していい、しかし、糧に出来るどころか破綻する可能性のある失敗は絶対避けるべきだ。取り返しのつかない種類の失敗はするべきではない。そういう失敗を前提にした挑戦は勇気とは呼ばない、無謀という。

スタントマンでも、死なない様にしているから、スタントが続けられる訳で、死んでしまっては元も子もないなのだ。だから、彼らは安全対策をきちんとするし、それに対する心がけもきちんとしている。一見危険に思えるスタントも、危険のレベルをきちんと把握した上で計算されて実行されている。

怖いものを知っているから、慎重になる。その慎重さが日本のCCSの導入にはない様に思える。「他がやっているから自分も...」という日本人的な悪しき感覚で実践されている様に思えてならない。自分と相手との立場の違い、状況の把握をきちんとしないと、酷い目に遭うのは彼らだけではない私達になる可能性だってあるのだ。

そういう意味で、次の選挙では自民党には投票しない。過去を捨てられない政権には正しい環境政策を実践できる土台(発想:陳腐化した事業者を温存してしまい新しい事が出来ない)そのものがないと考えるからだ。

やっていい失敗とやってはいけない失敗がある。新しい事は必ず失敗するものであり、失敗は避けられない。故にそれが修正できれば、失敗しても良いが、修正できないものならばするべきではない。子供の頃、後始末の出来ない事はするなと教わったが、この教えは正しい事をする時にとても役に立つ。そういう意味でCCSは正しくない部類に入るのだ。

もし、CCSが原因で地震が起こったら、人命という最も大切なものを失いかねない。よって、そういうリスクは負うべきではない。それよりも、陳腐化した産業を切り捨て、新しい事業形態に速やかに移行する政策を実行するべきだ。なぜなら、お金はいつでも取り返せるが、命は取り返せないのだから。