人というのは自分も含めて、自分に都合のいい状況に標準化したがる。綺麗好きの人は、周りに綺麗である事を「標準化」しようとするし、食事の味も、自分の好きな味に「標準化」したがる。果ては宗教においても、「標準化」したがる。
大抵、そういう標準化は迷惑である。では、世の中に役に立っている標準化は何かと言えば、ネジやボルトの規格やホームページのHTMLなどだ。皆に役に立つ標準は歓迎されるが、己のローカルルールをユニバーサルルールにする標準化は、迷惑なだけなのだ。要するに自我の普遍化をする様な標準化は駄目なのだ。