SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

問題を指摘されても「日本はそんなことはない」と言う人たち

泣きながら「日本はそんなことはない」と力説していたというツィートを見て思ったのは、そんなに自信があるのならば泣く必要はないと思った。自信を持って一言、大丈夫だといえばいい。

泣きながら力説というのは、大体、論破された人間が自尊心が崩壊した状態で自説を曲げずに主張している状態である。自分を正当化するものはなにもないけど、とにかく、自分はこうだということを言いたい、言わないと自我が崩壊してしまう。だから、泣いてしまう。(DEATH NOTE夜神月のニアに論破された最後の状態)

泣く必要がないのに、それをしてしまうという挙動に、彼等の自我が何に帰属しているかが分かる。彼等は日本社会全体に帰属している。個人として自立していないから帰属(依存)しているものが破綻していると聞くと、自我が崩壊してしまう。だから泣く。

自己と社会が癒着しているため、それを否定されると、自分も崩壊してしまうと感じて、泣いてしまう。ひっついてない人は、ダメなものはダメだといえる。しかし、ひっついてしまっている人にとってそれは、自分の体にナイフを突き立てるようなものである。

自分と社会が癒着しているので、社会を否定されると自分も否定されたように感じてしまう。社会は、人の集団であって、流行のように変わっていくもの。変わっていくものだから、どのように変わるかは、人の心次第、その心の持ち方を自分なりに持とうとする人は、自分の考えを持って主張できるが、自我の脆弱な人たちは、社会と癒着し、社会が破綻していることが自分自身が破綻していることと同義だと受け取る。だから、明らかに問題があるのに、そんなことはないと言ってしまう。それは、癒着しているので自己を否定することになってしまうからだ。

つまり、彼らは正確には、こう言っているのである。「自分はそんなに悪いやつじゃない、信じてくれ」と泣きながら力説しているのだ。完全に社会と自己が癒着しているので、社会と自己の意思を切り離して考えることが出来ないのだ。そして、自分が社会と一体化していることにも気づかないのだ。

こういった人たちの大丈夫とは、自尊心を保つために行われているのであり、極めて主観的なものである。だから、全く現実を反映していない。ある種の現実逃避である。そして、その現実と自己が癒着しているため、現実をダメだというと、自分をダメだと言われているように感じてしまうのだ。だから、自分はダメなやつなんかじゃない信じてくれというかのように泣くのだ。

善意を持っていても、その善意が自我が希薄なために機能しない残念な人達である。大の大人がそんな自立していない考え方では情けないと思う。自己と社会が分裂状態に至った時、自己の独立した意思を持つことが、多分、悪いことだと強迫観念的に意識しているので、その強迫観念が精神を破綻させてしまう。ある意味、哀れな人達である。