SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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自分に小言をいって苦しめるのはよくない

計画通りに行かないことがあると、つい自分に小言をいってしまって「自分はダメだな...」と思ってしまうことが多いのですが、そう自分に言った時「あれ?俺、そんなこと言う人間だったっけ」と思った。そういう些細な事で非難するのは自分らしくないなと思った。というのは、物事というのは「言うは易し行うは難し」という様に、行動するのは、言うよりもはるかに難しい。

ここでの計画というのは「言う」方に該当し、行動は「行う」に該当する。つまり、言うだけの楽な立場から見て、結果が遅いだの、何だのと実際にやっている自分に対して小言を言うのは、フェアじゃない。そう言う時に大切のは、難しいことぉやっているのだから、その苦労を労ったり、励ましたりするのが筋なのだ。

そういう事を理解しているはずの自分がどうして、自分に「小言」という相手の立場を弁えない愚言をいってしまうのかと考えてみると、そういえば、私のいた家にそう言う事を言ってくる人間が一人いたなと思った。その人は、相手の立場や状況がよく分からない人だった。その人の小言を常に聞いているのは辛いので、いつしか私は、その人の小言を予め予想しておいて、心の準備をしておくことで、平常心を保とうとした。なぜ、平常心を保とうとしたのかというと、私のいた家は、争うことが許されておらなかったので、文句をいうと、その事自体で悪いということになるからだった。文句を言えない私は、平常心を保つことしか選択肢がなかった。あの家は不満が吐き出せない息の詰まる家だった。

そういう家に生まれ育った私は、自分は、そのように自分に小言を言う人間ではないのにもかかわらず、平常心を保つという目的のために、何か上手くいかないと、予想される小言を予め頭のなかでシミュレーションする癖がついてしまったようだ。本来、私はそう言う小言を言っても無意味だし、元気がなくなるだけで、なんの益もないことを知っている私が、あの家から出て嫌いな家族もいなくなったのに、自分にそう言う事を言って、ココロを自分で傷つけるという非常に馬鹿げたことをしていた。もう、私にくだらない小言を言って苦しめる人がいないのだから、私は、頭のなかで小言をシミュレーションするよりも、「あと少しだ、頑張れ」とか「大変だけど、これを超えれば次が見えてくる」とか、言ってよかったのである。なぜなら、そういう事を言う方が元気が出るし頑張れるのだから。

そう思ったら、気持ちが楽になった。ああ自分を励ましても良かったんだな、そうだった。もうあの人はいないんだ。良かったいなくて...そう思ったらほっとした。そう思いながらルイボスティを飲むと、良かった。これで頑張れると感じた。