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「100分de名著・ブッダ“真理のことば」第二回「うらみから離れる」を見た。

「100分de名著・ブッダ“真理のことば」を見た。

 NHK:100分で名著
  http://www.nhk.or.jp/meicho/
 100分で名著「ブッダ」:再放送予定
  第二回「うらみから離れる」
   2012年3月21日(水)午前11:30〜11:55/Eテレ(教育)
  第三回「執着を捨てる」
   2012年3月21日(水)午後10:00〜10:25/Eテレ(教育)
   2012年3月28日(水)午前5:35〜6:00/Eテレ(教育)
   2012年3月28日(水)午前11:30〜11:55/Eテレ(教育)
  再四回「世界は空なり」
   2012年3月28日(水)午後10:00〜10:25/Eテレ(教育)
   2012年4月4日(水)午前5:35〜6:00/Eテレ(教育)
   2012年4月4日(水)午前11:30〜11:55/Eテレ(教育)
  
 第二回の内容が以下のblogに文字おこしされていたので紹介します。
  ブッダ ”真理のことば” 第2回 『恨みから離れる』 …NHK 100分de名著より
  http://ameblo.jp/e-fh/entry-11193554776.html

煩悩の根源についての説明

  • 「煩悩とは、恨み、執着、傲慢、しかしその大元に親分のような煩悩があるとブッダは気がついたのです。…それは無明です。無明とは、(物事を)自分勝手に解釈して正しく見る事が出来ない事です…」

無明の説明
・愚かな者が自分を「愚か」であると自覚するなら、彼はそのことによって「賢者」となる
・愚かな者が自分を「賢い」と考えるなら、そういう者こそが「愚か者」と言われる

苦行では真理はわからない(苦労したからといって正しいとは限らない)

  • 体を痛めつけても煩悩は消えない。忍耐力はつくが、煩悩を消さなければいけないという心の集中力を持続して、心の中に努力の方向を向けねばならないとブッダは気付いたのです。つまり、煩悩を消すにはカラダを鍛えるのではなく、心を鍛えよと仏陀は言っている。

ブッダの言葉を聞いて祖母を思う

  • この言葉を聞いて、「ああ、なるほどな」と思った。私が子供の頃、祖母の言うことを聞いていた理由は「あれほど厳しい人生を生きてきたのだから、祖母の言っていることは正しいに違いない」と思っていた。これは、苦行で真理を探求しようとした仏陀が否定した僧と同じだった。だが、それは忍耐力がつくのであって、心が鍛えられているわけではなかった。私が祖母の発想に疑問を持ったのは、何でもかんでも忍耐で片付けようとする姿勢だった。何事も諦めることで片付けようとし、問題に真正面から取り組まないものだから、あらゆる問題が未決となり、蓄積していく。そうやって未決となった問題に対して、さらに忍耐でしのげと言うのが祖母のやり方だった。

祖母は無明そのものであった。

  • しかし、人間の忍耐には限界がある。私はそれを続けている内に、体に不調が起きていった。心と身体がボロボロになって祖母のやり方がオカシイと思うようになった。算数で考えれば、祖母のやっていることは、永遠に苦しみの足し算を繰り返す方法であって、引き算が全くないというのが問題だった。算数が分かれば、小学生でも簡単にわかる帰結である。祖母は、これを忍耐でしのげといったが、忍耐にも許容量があり、それを超えると体や心にダメージが生じる。よって、祖母のやり方は、間違っている。
  • だが、それを私が祖母に言ったとて、彼女は自分の過ちに気付こうとしなかった。苦しみの引き算のできない彼女に私は「クソババア」と言ったら「ばあちゃん、そんな事いわれたことがない」と言った。その時、「ああ、そういう人なんだな」と思った。他人が文句を言って苦しんでいることを直視せず、今まで文句を言われてこなかったことを盾にして、自分が正しいと思っている。他人の評価で物事を決めている。問題を直視していない。人間が過ちを犯さないはずがない、それが自分にないと思う事がおかしいと感じた。祖母の異常さに気づいた言葉だった。
  • 祖母に文句を言っても、彼女は黙るだけで、何も言わなかった。彼女の発想は、他人がバカだから、自分の真理を理解出来ないといったようなものだったと思う。祖母は自分が賢いと思っていたに違いない、だが、彼女こそ正真正銘の馬鹿(愚か者:無明)だった。

無明が不幸をばらまく構図

  • 自分の周りの不幸について、何ら問題を直視しようとせず、それを他人が愚かだと決めつけて放置し、他人が問題を解決しようとしたら、全て耐えろと言って、自分が止めてしまい、問題を自ら深刻化させていた。そのことに気づけなかった祖母は、正真正銘の馬鹿だった。そうやって自分で周りに苦しみを増やしていって、その後始末を周りに耐えろといってさせる。祖母の説明は、全て忍耐だった。だが、それは体力頼みにやり方であって、限界がある。私はそれを身体で知っていた。そして、あの家を出ていったのも、それが原因だった。このままでは自分が死んでしまうと思ったから出ていった。
  • それから、15年の月日が流れて、あの家の不幸な出来事を母から知らされた時、自分があの家から出ていって正しかったということを再確認した。そして、祖母は、正真正銘、愚か者だったと確信した。私の子供時代の疑念は間違っていなかったと思った。祖母は諦めと忍耐で物事を片付ける人だったが、その考え方には人を慈しむ心、慈悲がなかった。そして、他人の心の限界を把握せず、ただ自分が耐えることが出来たのだから、他人も絶えられるという勝手な思い込みをして、他人を苦しめていた。それに文句をいう他人に対しては愚か者と決めつけ、黙るだけで真正面から向きあおうとせず、ただ現実から逃げ続けていた祖母。彼女はバカだった。本当にバカ(無明)だった。

今の日本に見る無明

  • 今の日本にも、それに通じるものがある。放射能被曝をしている人たちに、ただ、忍耐を強いて、そこから逃げることを支援しようともしない、みんなで食べて応援、ちがうだろう。安全な食べ物を提供して応援だろう。危険な食べ物を食べてどうするんだと思う。何でもかんでも民衆の忍耐で片付けようとしている野田総理の姿が祖母と重なる。そして、そう言う人が日本の首相であることが危険であると感じる。あのやり方では死人が出る。早くあの男を権力の座から引きずり降ろさないといけない。そうしないと、死者の山が出来上がる。それは何としても防がないといけない。野田総理の様な人間は、仏陀の言う「無明」(煩悩の根源)であると思った。そして、その無明ゆえに彼の現実に対する勝手な思い込みが不幸を生み出す。彼は人の話に耳を傾けず、ただ、自分の勝手な思い込みを人に押し付けて人々を苦しめている。あのような男が日本の指導者であることは極めて民衆にとって危険であり、排除しなければいけない。番組を見て祖母を思い出し、そう思った。