SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

善意が機能する条件

私は多くの人が、善意を持った存在だと思っている。だが、世の中には善があふれているかというと、そうではない。むしろ、無色透明の悪がはびこっている。私の義理の祖母も悪人ではなかった。だが、彼女は正しく物事を見ることが出来なかった。故に結果論として悪を行った人だった。

つまり、善意には、正しい情報と、それに基づく、正しい解釈が必要なのである。悪とは、間違った情報と、それに基づく誤った解釈によって行われる事もある。故に意識が正しい方向にあるから、それでいいというのは、善を考える上では十分とはいえず、それを正しい情報で、正しい解釈をしなければ、望む結果は得られないのである。

何をもって正しいのかというと、人が幸せになることであり、自分が正しいと独り善がりになることではない。たいていの悪は独り善がりの善意から生まれる。祖母も同じだった。自分が正しいと盲信するあまり、他人の不幸に目をつぶり、自分の正義を貫いた人だった。だが、それは目をつぶるべきことではなく、その目を見開いて、目の前の問題を解決する事こそ正しいことだった。それを事なかれ主義で逃げてきた祖母は、悪といわねばなるまい。

つまり、正しいことをするには、現実から目を背けず、その上で他人の不幸に対して、真摯に向き合うことが必要だ。昨日書いたBBCの報道姿勢も、多面的な視点に基づいて、何が正しいのか追求する中に、不偏不党のジャーナリズムがあるという趣旨のことを言っていたが、要するにそう言う姿勢こそが正義を実践する上で必要なことなのだ。

タロットカードに正義のカードが有る。その意味は調和である。つまり、正義の本質は調和であり、調和に必要なのは広い視野と深い洞察に基づく俯瞰的な視点である。俯瞰が出来てこそ、調和点が見いだせる。独り善がりな人間は、それができない。故に悪なのである。人の独善を可能にするのは、実は権力なのである。権力を手にすればするほど、自分の独善が通しやすくなる。そして、悪に傾きやすくなる。よって、上に立てば立つほど腰低くしていないと、あっという間に、裸の王様になってしまう。そして、ものの見方の調和を乱すようになり、最後には悪を行うようになる。天下を取った後の秀吉みたいになってしまう。身分の低い時は、優秀な部下の言う事を聞き、それ故に考えにバランス感覚があり、それ故、出世し頭角を現してきたのに、権力を握ったとたん豹変してしまった。

今、日本を見てみると、ジャーナリストは国民に向かって嘘を言い、印象操作をして、人々の解釈を誤らせる。それがNHKを始めとする大手マスコミのしていることである。ジャーナリズムの腐敗こそ、日本の悪の温床なのだ。多くの日本人は、善意を持った人のいい人たちだ。だが、そういう人々が多くいる国の中で悪が行われる理由は、ひとえに正しい情報の欠乏なのである。正義とは、正しい情報によって成立するものなのだ。

まだ、国民に頭を下げる報道機関はマシな方、明らかな嘘をいい、それを追求されても、平然としている日本テレビとか、フジテレビとか、読売、日経、産経とか、そういうクズ同然のマスコミは、ソレ以下なのである。そして、その連中こそ、日本の真の悪そのものなのである。正確には、悪の実行部隊と言っていい。