SKY NOTE

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エリートの存在意義

エリートの存在理由は、その優れた能力で弱者を導くことにある。

しかしながら、その選抜の際に弱者を切り捨てる過程で勝ち残ることが要求され、それは、弱者を否定する文化の中にいる。

受験勉強で勝ち残り、それによって評価されてきた人間は、弱者を切り捨てるのが当然だと思ってしまうのも無理は無い、そう言う選ばれ方をしているのだから。

なぜ、エリートが存在できるのかというと、99%の人間を導くために、その優れた能力を活用するという暗黙のルールがあるからである。そうでなければ、1%の人間のために99%の人間が従う道理はない。

要するに世の中の99%が弱者であり、よって、弱者を切り捨てるという思想は、社会を切り捨てることと道義である。競争社会を勝ち抜こうとすればするほど、社会性を失っていくことが分かる。そして、強力な利己主義によって正当化された人格が形成され、それがエリートという影響力のある地位にいる。

それが現在の日本のエリートである。そして、それと相性が良いのが新自由主義なのだ。いわば、日本の教育の失敗が新自由主義を正当化しているわけで、ノブレス・オブリージュのような高い社会性を育むことをせず、単に知識や思考力だけを強化しただけの人材を創りだす教育の欠陥がそこにある。そしてのその欠陥により、引き起こされているのが現在の搾取経済なのである。いわば、社会悪を否定出来ないエリート、社会悪そのものになってしまったエリートがそこにある。

優勝劣敗、弱肉強食、即ち弱者切り捨て、競争社会で生き抜いてきた彼等にとって、この考え方は理解しやすい。しかし、それは、エリートを社会が選び出すために使った手法にすぎないのであって、社会がその手法を全面にわたって支持することはない。なぜなら、世の中は弱者が99.99%の世界であり、0.001%の強者のための世界ではないからだ。もし、エリートが、自らのための世界を構築しようとするならば、99.99%の弱者が結集することによって、その世界は否定される。それが歴史の必然なのである。

だからといって、学ぶなというのではない、むしろ、学べと言いたい。利己心ではなく利他心の合理性を、人間という同族同士の競争の最終帰結は破滅、なぜなら、少数のエリートの実質的な力は、多数の弱者の力には及ばないからだ。つまり、エリートが利己心の為に創りだしたバベルの塔は、弱者の集合体という神の力によって叩き潰される。それが最終帰結なのだ。よって、優れていても、自らが弱者だという自覚を持たなければ、逆に滅ぼされるのはエリートの方、その現実を官僚たちもわかったほうがいい。今のままで行くと、その時は近い。


是故に其名はバベル(淆亂)と呼ばる是はヱホバ彼處に全地の言語を淆したまひしに由てなり彼處よりヱホバ彼等を全地の表に散したまへり