SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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正しいかどうか迷い、人を救わなかった自分

今日、自転車で走っていると、路上にくまのプーさんのぬいぐるみの様に座り込んでいる太った背広のおじさんがいた。日射病熱中症じゃないかと心配になって「大丈夫ですか?」と聞くと「大丈夫だ」と言っていたので「そうですか」と自分は言って、通り過ぎてしまった。3時間後、帰り道にソコを通ると、救急車が止まっていた。自分は「しまった」と思った。日射病熱中症は早く対処しないと重症になる危険なものだ。自分が見た時、対処していれば、良かったのにと想った。対処が早ければ早いほど、重症にならずに済むわけで、自分が見た時に対処していれば良かったと後悔した。

なんで自分は、対処しなかったのだろう。暑かったので霧吹きも持っていたし、塩も水も持っていた。それを使っていたら、状況はかなり良かったはずだ。私は、大丈夫だと言った相手の方の意見を遮ってでも、霧吹きで体を冷やし、塩を溶かした水を飲ませるべきだった。しかし、私はそれをしなかった。

私は、自分の対処が正しいかどうか分からなかった。自信がなかったのだ。相手の意見を遮って、自分の不確かな知識で対処してしまうと全責任が自分にかぶさる事を恐れた。私は、人にとって何が良いか考えるよりも自分の責任論を考えてしまった。そのことが、結果として、救急車を呼ぶハメになる事態になってしまったのだと思った。

どうも、正しいかどうかというのは責任論なのだ。私は人を助けるよりも、自分の負う責任のことを考えてしまう薄情な人間なのだと思う。本当に優しい人は、人を救うことを真っ先に考える。しかし、私はそれをしなかった。私はそう言う人間なのだと、救急車を見ながら思った。日射病熱中症は、最悪の場合、人が死ぬ。もしかしたら、見殺しにしたのかもしれないと思うと「何をやっているんだ」と思う。もちろん日射病熱中症なのかわからない。だが、多分、あの救急車は、あそこに座っていた人が運ばれていたんだと思う。

何が正しいかどうか考えるよりも、人を見て、何が良いか考える姿勢がないとダメだと思った。あのおじさんの様態が心配だが、どうか、重症にならずにいてほしいと願うばかりだが、今となっては、わからない。だが、人を救うのには、勇気が必要だと思った。その覚悟ないと救えないと、自分は、その覚悟が足りなかった。私の行動で一番足りないのは、覚悟だといつも感じる。

そう思いながら、韓流ドラマの「馬医」を見ると、主人公が馬を助けるために命をかけるのだが、宮廷の馬の医者たちは責任を逃れるために尻込みをした。私は、宮廷の馬の医者側の人間だと思うと、情けなくなってきた。主人公の馬医のように、救うためには、覚悟を持って行動しないといけないと、今日見たくまのプーさんみたいな、おっさんの後ろ姿を思い出しながら思った。