SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

何事にも保証を求める保守性は損である

私が考える違和感として、日本社会の何事にも保証を求める姿勢は、一見、責任感があるようでいて、実際には、誰も責任を取りたくない事から生まれる無責任な方便に過ぎないと思う亊がある。(必要とあれば皆で責任を取ればいいのである。魔女狩りなどせずにね)
 
スイスはプレパンデミックワクチンを国民全員分用意したという。それに対する日本の厚生労働省の見解は「効くかどうか分からないワクチンを国民全員分、用意するわけにはいかない」と言う。つまり、「保証がないからやらない」と言っているのだ。しかし、そういう姿勢こそ、この問題で最も価値のある「時間」の空費を招く、感染症対策で最も価値のあるものは、「時間」である。この時間の間にいかに体制を整えておくかが、その後の対処の確実性を高める。私であれば毎年、国民全員分の予算1400億円を用意して、もし、パンデミックが起きて、有効なワクチンが余ったら、世界中に空輸するくらいの事を考えてもいい筈である。お礼はいくらでももらえる筈だ。それにパンデミックを未然に防ぐ事は、その後の後遺症に対する医療費の軽減にも繋がる。(スイスが素早く対処できたのは、ペストを体験しているからとも言える)
 
スピードに価値がある時、保証を求めてモタモタするのは、逆に損であるという意識がなさ過ぎるのだ。時間という大切な資産を空費している事に気づかないといけない。
 
ダチョウが人類救う? 鳥インフルワクチン生産に光
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001629643.shtml
 
この記事によればダチョウからワクチンを作る事で1/4000のコストで良質なワクチンが作れるという。厚生省は、これを待っているかもしれないが、「時間の価値」に対する意識が「保証」や「経費」の陰に隠れ過ぎだと思う。
 
私が言いたいのは、何の為の経費か?何の為の保証か?という事である。保証を求める人達の姿勢は、自分の保身の為の「保証」とか「経費」の様に思えてならない。そんな事は、皆の問題なんだから、皆で責任と取るべきだから気にしないでよく、大事なのは問題に対処する「時間」であり、「国民」である。その優先順位のはき違えが「効くかどうか分からないものを国民全員分用意するわけにはいかない」という厚生労働省のコメントに現れている様に思えてならない。
 
これは厚生労働省に限った事ではなく、日本がスイスの様に行動できない理由は、「時間の価値」と「責任問題」を天秤にかけたとき、時間を取って事前に対処できるスイスと、保証にこだわって事前の対処が不十分な日本との違いに現れている。危機管理の側面から言えば、スイスが正しく、日本は間違っている。
 
何に対しても保証を求めるのは堅実だと思いがちだが、その為に時間を空費し、事前の準備を怠るのであれば、それは「堅実」というよりも「怠慢」と言った方が正しいだろう。