SKY NOTE

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今回の選挙結果の感想 2012.12.17

人の動かし方
http://d.hatena.ne.jp/skymouse/20090308/1236438470

この中で、私自身、どういう教え方をするべきか、どういう伝え方をするべきか書いている。欠点を指摘せず、励ましと勇気づけとアドバイスで、行動と継続を促し、結果に導くというのがある。今回の選挙結果は、たしかに酷い。正直言って、福島の人たちに対して無慈悲だと思う。そして、福島県民自身が、自虐的な投票行為をしたのも驚異的というしかない結果だ。まるで、死にたくない人が、自分の首にかけるロープを用意して、それを自分の首にかけて、助けて欲しいと言っているというような、非常におかしな姿だ。だが、ここで貶してしまうと、結果に近づくどころか遠くなる。今必要なのは、どうしたら変われるのか、どうしたら良くなるのか提案することなんだと思う。正直、私自身もこのような結果になるとは、分からなかった。想定パターンの中には、そういう結果もあったものの、なぜ、そういう結果になってしまうのかよくわからない未解決ファイルというのが正直なところ。

今回はその難題に正面から向き合わなくてはならない結果となった。非常に難しい。正直、理解を超えた要素が多くてわからない。何が基準なのか、どういう論理でそうなるのか?非常に不思議な結果なので、分からない、分からないと首を傾げるのだが、これを分析し、対応策を考えないと、日本はむちゃくちゃになってしまう。なにせ、徴兵制だとか、原発再稼働を公言している政党が政権を握ってしまったのだから。この難題に取り組まなくてはならないだろう。正直いって、これを考えるのは、とても面白くない。私は子供の疑問に答えるのには頑張れる。なぜなら、彼等が間違えてしまうのは、知識や思考が不足しているので、それを補完すれば良い。だが、正直いって、今自分が相手にしている大人は、単に補完するだけでなく、信用させるのに非常に難しい相手、子供の場合、その考え方が論理的であるから、必要な知識と考え方を吹き込めば、飲み込んで理解してくれる。だけど、大人は、それを信じるか信じないかで決まる。疑り深いが、その根拠はよく分からない。だが、私が思うに彼等は大人に成る過程で自信を喪失しており、自分で物事を決定する勇気や意思が欠落している。その点、子供達は、何もない分、吸收するのが速い。そういう意味で、大人は説得するのに時間がかかる。大人を理解させるのには権威が必要なこと多い、これは自信のない人間には失敗した時の免罪符になるからだ。権威を傘に来た説明よりも、論理的で整然とした説明を聞いて、よく分かったといってもらう方がありがたいのだが、そうならない。自信を喪失した人間は底なし沼のように責任論に埋没しがちだ。これは、とにかくブラックホールのような自信の無さなので、そこに時間と労力とお金が湯水のように消費されていく。非常に無駄が多い。

私は、こういう責任論に陥りがちな日本人について、映画「大脱走」の1シーンで説明したい。脱走計画を立てた男が、この脱走計画でよかったのだろうか?と仲間に言うと、仲間が「私たちは大人だ」と言った。つまり、大人なのだから、自分が正しいと思ったことは人のせいなどせず、自分で責任を取るという事なのだ。私は今の日本の大人は他人(個人)に責任を押し付けすぎると思う。その結果、時間と労力とお金を無駄にし、最終的には失敗する。効率が悪すぎるからだ。重要なのは、正しいと思ったことには皆で責任を分担し皆で対処するという責任感がないことで、個人が背負う責任が肥大化し、誰もが、その責任を押し付けられるのを恐れて、極端に権威を必要とする。これが非常に効率が悪い。それがこの国の変化を阻んでいる。大メディアの主張が通りやすいのも、こういう集団で責任を分担して対処する文化がないためではないかと思えてならない。ガキ大将がいた時には、リーダーのもと、組織的に皆で責任を取るという習慣があったのだが、それが遊びが個に偏って組織でなくなった時、責任を分け合って行動する文化も廃れた。それが今の日本の病巣ではないかと感じる。

→個に集中する責任
→1人あたりの責任が肥大化(賛成した人間全員で負うべき責任)
 (皆で言い出しっぺに賛成したのに失敗すると一人に責任をおしつける)
→その結果、誰もが責任が重すぎて持てない
→そうなると、絶対正しくないといけなくなり
→極端な権威を必要とする
→その結果、大メディアなどの情報が権威として正統性を持つ
→大メディア服従社会が生まれる。

→皆で責任を分担する(賛成したものには、それなりの連帯責任)
→絶対正しくなくても良い
→よって、大きな権威は必要ない
→自由に皆が提案し、行動できる。
→やっていくうちに成功パターンがデキてきて
→成功!

日本の民主政治が成熟するためには、責任を皆で分担する個々人の責任意識の成熟にあると思う。それができれば、巨大な権威を必要とせず、その結果、大メディアに支配されない自由な市民が生まれる。そして、その自由意志の総意が、民意となり、世の中を動かしていく、それが正しい民主主義の形だと自分は思う。今は、最初、皆で賛成しても、失敗したら、失敗した奴に全責任をなすりつけて批判するばかりで、皆で責任を分担して、提案したり、改善するというプラスの行為が乏しすぎるため、あらゆる市民活動が失敗しているように見える。責任分担意識によって個人の責任を軽くする事が、最終的に自由な民意の醸成につながる。そして、それには巨大メディアの信任など必要ないのだ。今の日本の民主政治の欠陥は、合意形成が市民の対話によるものではなく、マスメディアが提供する共有情報に依存していることが問題なのだ。対話が成立しないのは過剰な責任転嫁文化が個人に極端に重い責任を背負わせるからだ。これでは誰も喋れなし、言う気もおきない。

責任をシェアする文化があってこそ、自由な言論が保証され、それが論理的な対話に信任を与えられるようになる。論理上の世界が現実とは違ってくることはよくあることなので、失敗する確率は高い、だが、その失敗のたびに個人に重責を負わせてばかりだと、誰も意見を言わなくなる。だから、責任をシェアして、対応する必要がある。そういう文化があれば、権威に依存しなくてよくなる。逆にそれがないと権威に支配される。現在は、その権威に支配されている状態なのだと思う。それがこのトンチンカンで馬鹿げた選挙結果に結びついたのだと私は結論づけた。
 
今回自民党を選んだ人は、その選択の責任を大人として連帯して持つように、私は知らん。間違っても、マスコミのせいにするな。ネットで十分、警告されていた。愚かな決断は、愚かな結果を招く、それは自明、その責任は、その判断を行い、実施したもの皆にある。私が義父から教わったことは、警告されたのに、それを無視して行動した人間に、同情する必要はないということ。(責任の重さを認識させるため、そうする必要がある)共産党の吉井議員が原発メルトダウンのリスクを警告したのに、その警告を聞かず、安全対策を怠った東電メルトダウンを起こしたのは、当時の自民党東電の責任であり、自民党東電に責任追及が及ぶ、それと同様に、この自民党を選んだという決断にも、それを決断した国民に連帯して責任が生じるといえるだろう。自己責任の認識が民主主義を成熟させるというのならば、今回の選択はいい勉強になるだろう。しかし、授業料が高く付きそうだが...現在の右傾化した自公に改憲が可能な票を与える段階で、救いようがない愚かさだと思う。

自民党を選んだ人は、その公約の徴兵されても文句を言わないように、改憲されて戦争になっても文句を言わないようにしてほしい。それが選択の責任をとるということ。その選択の責任は、結果として国民全体で背負う事になる。愚かな決断の巻き添えになるのは正直辛いが、もっと辛いのは、福島の子供達であろう。ダメな大人たちですまないと謝っても謝りきれない結果だ。

もし、酒場で自民党に投票した奴が、自民党が公約通り、原発を再稼働するなど、悪政を行った時、苦言を言おうものならば、お前自民党に投票しただろといってやってほしい。そうやって賛成した人間としての責任の重さを教えてほしい。それは自分の親でも子供でも同じ。選択の責任の重さを自覚してこそ、責任感というものが生まれる。

選挙速報
http://www3.nhk.or.jp/senkyo/

自民:294
公明:31
合計:325議席改憲可能議席:320)