SKY NOTE

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10月22日の脱原発デモ 飛び入りで参加する人も出てきた

脱原発】 警察が頭を抱える「普通の人たち」の飛び入りデモ
http://tanakaryusaku.jp/2011/10/0003072

上記の記事によると、10月22日の東京の渋谷のデモで脱原発デモに飛び入りで参加する人が出てきたようだ。私は、日本のデモの新しい流れが生まれ始めていると思う。まるで、小さな川同士が合流して大きな大河となっていくような、そういう流れが生じ始めている。今回のデモの特徴は、大手メディアが「どうせ飽きるだろ、日本人は飽きっぽいから」という主張に対し、現実は違う流れであるということだ。インターネットと世界的なデモの流れが、互いに連携し合い、ひとつの大きな流れを形成しつつあるように思える。もはや、大手メディアを信頼できないという人たちの行進でもある。

飛び入りで参加してくる人たちの中には、生後1年5ヶ月の赤ん坊を抱いている人や学生などで、これは警察の想定外の人種であり、従来のデモとは明らかに異なるのだという。原発をなくすという目的のために普通の人々が立ち上がり始めたと言える。これは日本の民主主義において革命的なことである。

日本の民放テレビ局は、「原発をなくしたら電気が足りなくなる」という主張をしていたが、あまり言わなくなった。なぜなら、今年の夏を国民が節電をして乗り切れており、しかも、既に80%以上の原発が停止しているのに、予備力を保持したまま電気が供給できているので、自分たちが嘘を言っていることがバレてしまっているからである。つまり、この期に及んで嘘の上塗りをすると、ますます信頼されなくなるものだから、黙っているのである。

そういう嘘を公言してはばからないマスゴミを市民が信頼しないのは当たり前で、各地でデモが行われている。その様子をテレビ局は報道しない。9月19日のデモは6万人も参加して隠し切れないので、一応、報道するが参加者6万人をTBSやフジテレビなどは警視庁発表の2万人台と過小に報道するなど、TBS、フジテレビは、民意を過少評価するという民主主義とは逆行した行為をし、自分たちが民衆の為に存在しているのではなく、原発の為の存在であることを明確に示した。他の民放もこの大規模なデモ、つまり民意を過小に扱った事から民放各局は自分たちが原発よりであることを明確に示した。

これが2万人!? 9月19日のさよなら原発デモ(実際は6万人)

つまり、これだけのデモを過小に報道する民放テレビ局は、自分たちは広告費を払っている人たちの側であって、民衆のためにいるのではありませんと公言しているも同然だ。だが、そんなことしている連中を人々を信じなくなり始めている。当たり前といえば当たり前だが、そんな中でデモに飛び入りで参加する人が出てきたことが、日本の民主主義にとってイノベーション(革新)であると思う。このニュースを見た時、私は「おっ」と思った。世界のあらゆるデモの成功は、特定の集団ではなく、一般民衆の参加が不可欠なのだ。それが始まったという兆しがこの報道から垣間見れたので、「おっ」となった。これからの日本は、こういう嘘をいうメディアを無視する社会へ向かうだろう。既に脱原発デモに多くの人々が参加している。それは何を意味するか、民放テレビ局の情報戦における敗北を意味している。既存マスメディアを信じない人々がネットを通じて横のつながりで連携し始めている。10月22日のデモの飛び入りは、そんな時代の始まりなのかもしれない。

バケツの穴は、徐々に広がっていると感じる。嘘という水を流しても、それがバレるという穴が空いて、信用を更に失う民放テレビ局の惨めな姿を見ると、没落するってこういうものなのかなと思う。この脱原発の流れが止まらないのは、子供を思う親の気持であり、人々の原発に対する怒りであり、将来の地震への恐怖でもある。そういう恐怖は、津波を恐れて逃げるような正当な恐れでもある。だから、簡単にはなくならない。人が人を思うという当たり前のことで人々はデモに参加している。ファッションではないからこそ、飽きるという主張は間違っている。「飽きる」という種類の事ではないからだ。私のオヤジ風に言えば、「お前、馬鹿じゃねぇのか?生きることを飽きるという事があるか?飯を食べることを飽きるということがあるか?」と言うだろうな。誰しも死にたいとは思わないということを前提とした主張。誰もが死にたくないからこそ、津波から逃げるし、核汚染を恐れる。そういう正当な恐れは、それを分かったような顔をして否定するバカより遙かにマシだ。
 
平野氏が「津波から逃げなかったバカなやつがいる」と言ったそうだが、その通りだ。この津波から逃げた人々が身にしみてわかっていることであろう。誰も、それを否定はできない。恐れるべきものを恐れないのはバカ、そういうことを、3.11は教えている。

津波の映像(津波に逃げ惑う人々が写っている)5分29秒

玄海原発メルトダウンを起こした場合:シビアアクシデント
(圧力容器が破断し、偏西風に乗って放射能が日本の半分を覆う)
http://d.hatena.ne.jp/skymouse/20110629/1309353557

こうなってしまうと、日本のほとんどの農地が使えなくなり、たとえ生き延びたとしても、日本は、長期にわたって食料の大部分を輸入し続けなくてはいけない。その上、放射能汚染された国の工業製品を怖くて買う人もいないので、日本は貿易赤字となり国家は財政破綻し破滅する。人が死ぬだけでなく国も死ぬのだ。だから生きるために脱原発を主張するのは極めて正当な主張であり、まともだ。むしろそれを過少評価し、きちんとした対応をしないのは、津波から逃げなかった人と同じで馬鹿だ。厳しい物言いだが、それが現実だからだ。そういう意味で脱原発デモを過少評価した民放局は馬鹿なのだ。そして、人々はそのバカを信じないでデモに加わり始めている。きわめてまっとうな行為だと私は思う。