SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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成功者とシナリオ

答えを持っていても、それが伝わらなければ意味がない。優れた答えの所有者が成功者になるのではない。優れた答えを広めた者が成功者になるのだ。
 
そこで、自分が持っている答えを活用して成功したタイプの人間が2人いる。1人は、超がつくくらい、弁舌が上手な人、もう1人は映画が好きで、シナリオを書くのが上手な奴。この2人に私は何をするべきか、詳細に説明した後、彼らは成功した。つまり、私は彼らに答えを提供したわけだ。1人は弁舌で人を動かして成功し、1人はシナリオを作って成功した。
 
この2人は、私が提供した答えを弁舌にしたり、シナリオにしたりして、人に伝える事ができたのである。その結果、成功した。つまり、成功とは伝達能力に大きく依存するのだ。意思が効率よく伝達する事で、それによって動くものが大きくなる。その大きな動きが私の答えに従って正しい方向に向いていれば、成功するわけだ。
 
私はどうかと言うと、人に伝える事が充分にできていない。このブログのアクセス量も増えてきたとは言え、成功するレベルには遠く及ばない事からも分かる通り、私は人に物事を伝達する事が下手だ。つまり成功していない。私は答えにたどり着く事はできても、それを人に伝える技術がない。シナリオや弁舌と言う様な得意技がない。
 
シナリオを書いてみようと、プロットを書いて分析してみた。分析はできるがシナリオを書けない自分がいた。シナリオの分析をしてみると、大抵主人公が動かせれば、それに呼応して他の連中も動かせる事が分かった。しかし、主人公が私は動かせない。なぜなら、意思が存在しないからだ。もっと正確に言うと、意思がある事が怖くなってしまうからだ。
 
私の主張と言うのは、基本的に分析である。分析した結果最善と思われる事を言っているだけであって、「私はこうしたい、ああしたい」という様な主観的な意思で動いているわけではない。しかし、シナリオを書く為には、主人公の主観を描かなければ、キャラが立たない。私自身に主観と言うものが希薄な為、主人公が動かない。よってシナリオが書けない。
 
どうして、こんなに主観と言う者を恐れるようになったのかと思い返してみれば、些細な事ですらも、家族全員を敵に回している私の子供時代が思い起こされた。私の周囲の人間は、目的の為に手段を選ばないコミュニケーション手法ばかりを選ぶ家族だった。
 
例えば...
義姉:キレイになれば、それを実現する為に何をしてもいい。
祖母:平穏になれば、それを実現する為には何をしていい。

キレイにする事も、平穏である事も、目的としては正しいのである。ただ、それを実現する為に、私の言い分を全く聞かなかったり、一方的に黙らせたりするなど、やっている事がデタラメな家族だった。要するに自分の目的は正しいのだから、他人の言い分を聞かなくてもいいとか、黙らせるとか、そういう乱暴なコミュニケーションばかりをしている家だった為、いつしか私は自分の意思を持つ事がとても辛くなってしまった。
 
彼女達の行動パターンは「己の目的の為には手段は正当化される」という他人に己の主観を押しつけても、自分は正しいのだから良いのだと言う乱暴な発想の持ち主だった。まず、自分が正しいか間違っているかどうかチェックしていない段階でNGな人達なのだが、そういう人間の中で生きていると、自分の意思を持つ事がとても辛くなってくる。私が正しいか間違い以前に、自分が正しいと言う事は相手が間違っていると決めてかかるわけだから、当然、否定されるのである。徹底して否定された自我は弱く、希薄な意思しかない。
 
私がシナリオを書く為には、まず、自分の意思の存在を恐れない事から始めないといけない。私が強い意見を言えるのは、それは分析結果だからであって、強い自我の結果ではない。強い分析があって、強い意見がある。だから、分析対象のない架空の者には、意見が言えない。つまり、小説は書けないわけだ。シナリオを書くと言うのは私にとっては恐怖である。意思が発動するたびに家族全員に非難された子供時代を思い出すと恐怖でしかないのである。