SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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恐怖という幻想

恐怖も過剰になると幻想になる。実体のない恐怖は、幻想に限りなく近い。妄想といった方が正確だろうか?私は、育ちが悪いせいか色々と怖い事が多い。上手くいきそうになると怖くなるのは、祖母が悪平等な人だったから、突出する者が出てくると、それを必死になって抑えようとする。何でも平らにするのが祖母の発想。そういう祖母も、そうしないと家の平和が保てないという妄想に支配されていた。
 
道理に基づいてジャッジすればいいものを、それが出来なかったのは、恐らく、祖母の生きてきた人生に道理が存在しなかったからなのだと思う。つまり、隷属する事しか許されなかった明治の一人の女性の中に生まれた歪んだ価値観。その歪みを私に植え付けて苦しめた。死してなお、私の心を蝕み苦しめる。心の歪みは厄介だ。
 
自分の歪みに気づくには、まともなものを見ると分かるのだ。つい最近、親戚の家族を見ていてしみじみそれを思ったものだ。その家の親と子供の対話には道理があり、「交渉できる」という亊が私には驚きだった。私の子供の頃には出来なかった事だ。
 
私の子供の頃は、交渉しようとしただけで、まるでそれが悪い事かの様に大騒ぎになり、収拾がつかなかった。交渉するという事が即、厄介な事の入り口になっている家だった。そして、必ず私が譲歩させられる。そういう意味では私の立場は低かった。私はそうは思っていなかったが、結局私の立場は養子、居候の類いだった。
 
彼らが私を恐れたのもまた、妄想に過ぎなかった。実体のない恐怖であり、馬鹿げたものだった。妄想は伝染するのである。妄想の根源は祖母であり、それが祖母の権力をつたって、あの家を覆っていた。これが権力と言えるのは、ちゃんとした理由が何一つないのである。あるのは争うなという理屈だけ。とにかく争いを否定するのはいいのだけど、それをきちんと調停する理由がないといけない。そうしないと、無限に私が譲歩しないといけないから。そういう意味で、あの家の中で私はゴミ捨て場だった。譲歩というゴミを捨てる場所だった。
 
サブプライムローン問題を見ていると、祖母に似ている。あれは一種の妄想なのだ。妄想が伝染し、人を包み込んで苦しめる。でも、それと戦えるのは希望。でも、妄想の中にいると気づかない、まともなものと比較できて始めて、それが妄想だと気づくのだ。妄想は、その正体を明かしてしまえば大した事はない。ただの一人の人間の世迷い言に過ぎないのだ。今回の金融危機も同じで、サブプライムローンで生じた損害よりも、サブプライムローンが産み出した恐怖による損害の方が遥かに大きい。実体が分からない損害が妄想となって人々の中で肥大化し、莫大な損害が生じた。
 
しかし、この恐怖もいい事をしたと思う。金融資本主義というバブル経済を破綻させ、環境を守る社会へ大きく舵を取るきっかけとなったのだから。このまま金融資本主義の中で環境破壊を続けていけば、人類はとても困った事になっただろうが、ギリギリの所で180度方向転換する亊になった。だから、今回の問題は、妄想であったとしても、悪い事ばかりではなかった。