SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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私の臆病のルーツ:中間的な評価が出来なかった

臆病で腰が引けてしまったり、絶望が選択肢が存在する時間(勝機)を浪費し、勝機を逃してしまう。
 
臆病のルーツ
臆病で気が引けてしまうのは、子供の頃の自分と相手との力の差の大きさすぎたから、「厄介だな」と思う事がある。道理が通じない相手への恐怖が人より強い。そして、それに対処できなかった経験が更にその恐怖を強くする。その原因は中間的な評価がされなかった事にある。
 
中間のない極端な評価
つまり、子供の頃の私の道理をある程度認めてくれる中間的な評価だ。中間がなく、一気に否定に回られ、四面楚歌になり孤立する経験を何度も繰り返すと、ほんの少しの衝突でも、即、困難な問題と解釈し、臆してしまう。実際には、それほど恐れるべきではない中間的な状況があるのにも関わらず、そういう評価が家庭内でされなかったので、一気に不安が極大化する。そういう評価がもしあれば、落ち着く事が出来たのだろうが、わたしのいた家は、そういう落ち着きがない家だった。正確に言えば、あの家を支配していた祖母にそういう落ち着きがなかった。彼女は酷く姑さんにいじめられたそうだから、そうなってしまったのだろう。明治時代の女性の権利は低かった。
 
明治の負の遺産が私を苦しめていた
明治の負の遺産が平成の現代の私を苦しめるのは皮肉だが、私は、その過去をたち切るために極端な解釈を改めなければいけない。世の中には中間的な評価があるのだと、そして、そこを信頼して動く以外に問題解決の術がない事を自覚するべきだと思った。元々、話の通じない相手であれば、どんな人でも交渉は難しいし、恐らく出来ない事が殆どだろう。もし、対話が出来るとすれば、交渉できる中間領域があると信じて対話する事のみなのだ。私は、その中間領域があることを知らなかった。私がそのことを知らなかったのは、不安のあまり、自分が譲歩する事で片づけてきたからだ。このように譲歩を安易にしてしまうと、他者に舐められ、大抵の人が私に対して傲慢になる。もしくは傲慢でなかったとしても、大抵の人は交渉を有利に進めるべく、ある程度自分の言い分を主張し、相手の主張を無視する事もあるだろう。私は、道理を無視された段階で話が通じないと判断し、交渉からおりてしまう。そのことが、結果として中間領域という機会を損失していたと考えられる。そして、そのことが私に友がいない理由でもあるのだろう。
 
交渉を粘る事が出来なかった子供時代
私が人と対立すると、祖母が私を即、黙らせてしまったので、私はいつも、交渉を続ける事が出来なかった。つまり、そのこともまた、中間領域が意識できなかった原因であろう。祖母は、恐らく姑さんにいじめられすぎて、交渉できる中間的な評価が出来なくなっていたのだ。それ故、これ以上、対話を続ける事は出来ないとわたしを黙らせたのだと思う。しかし、実際には対話が出来る状況を祖母自体が勝手に放棄し、私に強制していたと考えられる。その事が子供の頃の私の情操面に少なからずダメージを与えた事は想像に難くない。それ故、私は些細な問題でも譲歩をしてしまい、それが他者に舐められる原因となり、いじめられ、その事がさらに他者への絶望感を深くするという悪循環に陥っていたと考えられる。
 
私の臆病とは、言ってみれば被害妄想だが、その実態は交渉可能な中間領域を意識できないことで、問題が一気に破滅へ向かってしまうイメージなのだ。交渉を破滅的破壊行為をする他人(祖母)によって、何度も何度も、そういう事をされている内に、深層心理にすり込まれていったのだと推定される。人と人との間の正常な信頼意識というものが欠落している為、僅かな対立でも恐怖を極大化してしまい、友達を維持する事が出来ない。その結果、友がいなくなる。わたしの孤独は、私が中間的な評価をしなかった事にある。わたしの頭には中間がなかった。中間をイメージしても、それらが全て否定されるという恐怖で頭がいっぱいになり、精神的に身動きできなくなってしまっていた。今の私は、自分にこういう事にしている。「臆してはダメ、必ず交渉できる間がある」「それを意識する以外に、問題を解決する術はない」「だから多くの人は、礼儀正しくする」「出来るだけ、相手と妥協できる間を確保する為に、礼儀という形によって精神的な間を作ろうとするのだ」
 
賢きものは、頭を垂れるというのは、相手と自分との間にある。間を作り出す事によって、交渉可能な領域を効率よく生み出しているのだろう。