SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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面白さとは?

なぜ戦いの観戦は面白いのか?
食うか食われるかの恐怖を客観視するのは自分にはペナルティがなく、また、スリルがあって楽しいのだ。恐怖が楽しいのはランナーズハイに近いものがある。つまり、恐怖自体は楽しくないのだが、その恐怖が過ぎ去って小休止するときに快感(安心感)が生じる。それが面白さとなる。

例えば、DEATH NOTEなんかだと、名前がばれたら即、死に繋がるノート何かがあるものだから、いつでも死が待っている恐怖がある。だが、Lというキャラクターが知性を使って、その恐怖を切り抜ける度に、読者は安堵感と、それに伴う快感を味わう。それが面白さになる。

そういう意味では鬼ごっこに近いものがある。鬼ごっこの鬼がLで、月が逃げる方。鬼は頭がすごくよくて、追い詰めるのだけど、月も同じくらい頭がいいので、ギリギリで切り抜けていく、そのギリギリさ加減が楽しいのだ。

状況のコントラストを高めるために、Lのキャラクターは、緊張感のある部分と、そうでない部分の差が大きい。Lは常に甘いものを食ってて、変な奴なのだが、それが安堵感に繋がる。変な奴だが頭がいいので何とかしてくれるだろうという安堵感があるのだ。この安堵感がスリルから小休止するランナーズハイ状態を産み出す。

そして先の読めない展開は、常に新しい刺激を脳に送り続ける。これもまた、人間にとっては快感となる。

つまり、予測不可能な展開と、DEATH NOTEの恐怖と、それを強調するキャラクターの個性がからみ合わさって、常に読者を刺激し続けることで面白いと感じる作品に仕上がっている。そういう意味では面白いというのは刺激のコントラストと言えるのかもしれない。

そういう視点で、二アやメロが出て来る第二部がつまらないという話が多いのは、ストーリーが常に緊張しっぱなしで小休止する場所なくなり、安堵感を持てる場所がなくなって、面白さを感じる刺激のコントラストが弱まったからだと考えると筋が通る。特に女性はその傾向が強いのではないかと思う。

最近面白かったのは、テニスのナダルとフェデラの戦い。これもやはり、食うか食われるかのギリギリのプレーの持つ切迫感と、やったらやり返すプレーの連続が、どっちが勝つか分からない予測不能な要素を持ち、また、冷静沈着なフェデラとアグレッシブなナダルの対比が際立っていて、面白かった。