SKY NOTE

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熊本地震の安倍政権の駄目っぷり

熊本県地震について、相変わらず、安倍政権の震災対応は杜撰だと感じる。必要な人員が足りなければ即応するのが、震災対応の要諦であり、今回の震災では、それは出来る事だった。しかし、それもまともにできず、その上、被災した自治体の人間に暴言を吐くなど、「小学生か?」と言いたくなるような大人げない態度を見て、どこまでマヌケなんだと感じた。あまりにもマヌケ過ぎるので、災害対応中に国の本部長から更迭という前代未聞の事態となった。

 松本文明副大臣 災害用テレビ回線で「差し入れ」要求のア然
 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/179920

こういう低能のせいで、現地に物資が届いているのにも関わらず、それが被災者の元に届かず、水不足、トイレ不足、寝床の不足で、エコノミークラス症候群で死ななくていい6人が亡くなったかと思うと、やりきれない。しかし、このドアホな政権を選んだのは国民自身なのであり、その最終責任は私達自身にある。また、前回の選挙、棄権した人も反省して欲しい。なぜなら、自民党に投票したのは、有権者の25%に過ぎない。それが衆議院で2/3以上の議席を持つに至ったのは、棄権者が多くて、相対的に、このドアホ政権が一番になってしまったのだ。棄権するひとが、少なければ、そもそも安倍政権そのものが誕生しておらず、こういう馬鹿が熊本の地に来て、駄目なマネジメントで、熊本の被災者を苦しめる事はなかった。

熊本の震災対応の酷さも、選挙の結果なのだ。つまり、私達の選択の結果である。駄目な人間を上に立たせた結果だ。政治家を選ぶのを間違えると、これほど酷い事になるのかと思うような事態が、今、起こっている。地震が起きているのに原発止めないとか、救援物資が届いているのに、物流管理が出来てなくて被災者に届かないとか、上にいる人間がマヌケな事で、本来できる事が出来なくなっている。本来は震災対応に、首相が自ら陣頭指揮に当たっても良い筈なのに、それもしないで、全く関係のないTPPの審議をやったり、憲法21条言論の自由に違反している盗聴法などを、震災のどさくさに紛れて可決するなど、やる事が姑息過ぎる。

無能で姑息、人間として格の低い者を上に立たせると、こうまで国は酷くなるのかと思う。しかも、それをマスコミがきちんと報道していない。マスコミもだらしない。どいつもこいつもと思ってしまうが、しかし、それらを生み出したのは、安倍政権を選んだ私達なのだ。そう思うと、責任を感じざる終えない。私は自民党は選んでいないが、しかし、日本国民の一人として反省しなければいけない。どうして、このような危機的な状況を周知しえなかったのかと。このような駄目過ぎる政権を選んでしまった日本国民の気持ちが未だにわからないのだ。その気持ちがわかれば、それを汲み取って、彼らの耳に入る言葉を選ぶ事ができるものを。

思い出すに、私は都知事選で友達とけんかになった事がある。彼はテレビが言ったことを信じてタレント候補に投票した。自分は一番能力の高いと思われる経歴の人を選んだ。その友達とは、10年来の友人であったが、そのことが元で絶交してしまった。彼は人柄で候補を選んだと言っていたが、政治と言うのは、能力がなければ善意も実践できない事が多い。だから彼の選び方は、方向性は正しいかもしれないが、無能を選んだ段階で悪だと思った。私は、そのことを厳しく彼に問い詰めたら、絶交という事になった。それ以来、彼とは会っていない。無能な人間を選ぶと、今回の震災対応のように、人が死ぬのだ。その事が分かっていた自分は烈火のごとく怒ったが、その友人には伝わらなかった。もし、あの頃と同様な事を言えば、結果は実りあるものにはならないだろう。そういう人は、へそを曲げて自民党に票を入れるに違いない。少なくともそういう方向に人を誘導してしまうのだ。

人間は、自尊心を傷つけられると、不合理な方向に行くものだ。私は、怒りのあまり、他人の自尊心を軽視した。その結果、私の意見は認められていない。その証拠に彼とは絶交したままだ。今回の杜撰な震災対応で無能な人間を選ぶとどうなるか分かると思うのだが、彼に対し、私は言い方は間違っていたと思う。私はたとえ話をするべきだった。もし、東京に大地震が起きたとする。君が選んだタレント候補の能力で東京が救えるかと?恐らく沢山問題が噴出し、リアルタイムで多くの決断を下さなければいけない、そういうシビアな状況に人柄だけで対応できるのかと、そもそも、私は、そういう問題が起きうると想定して、責任ある立場に無能を選ばない。だから、私は彼を頭ごなしに叱責するのではなく、シビアな問いかけをするべきだったと思う。それで問題が起きた時、君が選んだ候補は命が救えるかと、その力量はあるのかと。私の義父が、そういう問いかけで私を諭したように、同じ命題を与えれば、同じ結論にたどり着く筈なのだから。

ちなみに私が問いかけに答えると、義父は更なる問いかけを繰り出し、最終的な結論に導くのだ。「叱責」ではなく、「問いかけ」がキーワードだと思う。私は友を失った教訓から学んだ事は、怒りに任せて叱責するのではなく、怒っても何もならないと自分に言い聞かせて、義父のように問いかけをするべきだった。

私が友を切るパターンは、命に関わる問題について、軽々しい言葉とか、決断とか、そういう事を友人がした時、私が厳しく、それを問い詰めた時だった。命に関する事については、妥協する必要はないと思っていたが、だが、命が関わっているからこそ慎重に言葉を選ぶべきだったと今にして思う。なぜなら、本当にしなければいけない事は、絶交ではなく、命を守る結論に導く事だった筈なのだから。