SKY NOTE

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政治は水の如くありたい

山本太郎氏の演説を撮影する帰りに雨が降ったので、書店で雨宿りをした。すると、老子超訳があったので、読んでみた。漢文で書かれている老子の言葉は、非常に読みにくいのだが、超訳版は平易な日本語に訳されていた。その中で印象に残ったのは、「水のごとく」という所だった。水のごとく、あらゆる形のものを受け入れ、そして、低き所に流れ、皆を支えるもの。それが老師の教えなのだ。

私は、子供の頃、この水のごとく生きるように教えられた。だが、そのようにすると、確かに皆の受けはよく、他人から高く評価される。そして、同時にその評価を妬まれる。私は水のごとく、へりくだり、そして、でしゃばらずに生きようとした。だが、それは必要以上の評価と、それによる妬みを買った。そういう経験をしてから、私は、この生き方をやめた。言いたいことを言い、でしゃばり、そして、必要以上にへりくだらない。このような生き方をすると、確かに損をする。高く評価されない。しかし、妬まれるようなこともない。私は、私の自然な姿で人に接したいと思っていた。私が水の如く生きよとされていたのは、形だけだった。形だけの偽りであるからこそ、人から妬まれたのだ。その姿に誠がないからである。

今、思えば、私の言葉として「愚を行いて、賢きを知る」という事になる。なぜ、愚である必要があるのか、それによって何が失われるか知ることで、私の形だけの水のごとくにも、魂がこもるというものである。私は愚という反面教師もまた、必要なのだと思う。私のような出来の悪い凡人は大抵過ちをしてから、真実に気づく。本当はそれを避けたほうが良い。だが、多少は失敗したが方がいい。風邪のワクチン程度には、失敗した方がいいのっだ。抵抗力がつくから。私のように大々的にヤルのは効率が悪くてやるべきではないが、失敗という先生は、偽りのものに真を与えてくれる教訓を諭してくれる。

老師の教えには陰と陽があり、それは道(タオ)という言葉で統合されている。老子の考え方は、極めて右脳的だ。タオという全体があって、それが混沌としており、それが全ての世界の営みに続いていく。つまり、すべての万物をタオというものに統合して考えるのである。左脳は、あらゆることを細分化して考えるのだが、右脳は逆に全体を1つにまとめて考えるのである。これは、自分も他人も空気も水も全て一つのものとして捉える感覚なのである。だから、陰と陽もこれで説明できるのだ。一つのものだから、ある面を強く押せば、他の部分が凹む、そのように押すという陽の世界と、凹むという陰の世界は、一つのものだから、そう考えることが出来る。さて、これを戦争に当てはめてみよう。老子は「軍備を強化すれば、他国を挑発して余計にダメだ」と述べている。つまり、軍備を強化すればプラス(陽)の面が生まれたようでいて、実のところ他国の軍備強化というマイナス(陰)が生じる。これを老子は水に例えて言っているのである。

老師の教えからすれば、憲法9条は「水のごとき法」となる。無為こそが、結果としては、本当の平和を導くのだ。他国を必要以上に挑発しない。このことが大切である。私たちは、危機に陥ると軍備を強化しないとダメだと思ってしまう。だが、それもまた、強すぎれば、相手も同様に強くなってしまう。そして、お互いに挑発し合い、結果として争いになる。老子はそうなることが目に見えているので、軍備の強化をいたずらに行うべきではいと諭している。どこかの国の指導者に教えてやりたいですね。