SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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時には、正しさよりも人の自尊心が大事なことがある。

私の義父は天才だった。天才であるがゆえに正しさに一番近い人だった。だが人生において彼は成功から一番遠い人だった。なぜならば、正しさと他人の自尊心を比較した時、義父は正しさをいつもとった。義父の考え方はわかる。なぜならば、それが正しいからだ。だが、義父が成功するために必要だったのは、自分の正しさを実行するための仲間だった。たった一人では、どんなに正しいことも実現できないのだ。だからこそ、正しくなくても、人の自尊心を軽んじてはいけない、もっと言えば、他人にもっと敬意を払うことが必要だった。だが、義父はみずからの才能がそれを邪魔をした。あまりにも頭が良すぎるため、それを理解できないものを馬鹿にする。そうやって義父は仲間を失っていった。

私は義父の才能には敬意を払いつつも、仲間を失っていく義父を見て、どうにかならないものかと思ったものだった。そういうオヤジの影響を受けて育った私は、親友を2人、親父と同じように切り捨てている。つまり、自尊心よりも正しさをとったのだ。だが、私の場合は、親父と違って天才ではないので別の理由で、自尊心をよりも正しさをとった。それは、人間の自尊心ばかりを見ていると、現実の認識に狂いが生じる。つまり、感情を無視することで、冷徹な判断ができ、それが的確な判断に結びつくというのを天才の義父から学んだ。

要するに私の思考回路は、物事を観察するとき、自分や他人の感情を無視して、まるで流れる川の水を眺めるように現実を見る。それが私の思考スタンスだ。そこに人の感情はない。水が上流から流れ下流に流れるように、モノが上から下へ落ちるように、すべて当たり前という法則に則って、すべてが動く、そうなると困るとか、そうなると厳しいとか、そういう感情は一切無視、その視点で友の感情、自尊心も切って捨てることが正しい判断に結びつくと思っていた。だが、そんなことをしていると友を失う。たった一人になった自分を見て、自業自得だと思いつつも、それでもいいやと思って3.11まで生きていた。しかし、3.11後、矢継ぎ早に起こる想定外の、予想外の事態に対し、この状態をクリアするのには、仲間が必要だと感じる。つまり、平穏な状態であれば、私は孤独に甘んじて生きていた。むしろ、孤独であっても良かった。だが、3.11は、そんな私の生き方を根底から変えた。

自分が生きている社会が根本から揺らぎ、その問題を解決するためには、仲間というものが必要になる。孤独という贅沢が許されなくなったのだ。そこで、私は義父とは逆の行動をすることにした。つまり、自尊心と正しさがぶつかった時、必ずしも正しさを選択するべきではないと判断した。なぜならば、このあまりにも大きな問題に対し、一人では解決できない。仲間の協力が必要なとき、己の正しさという矛をしまう必要がある。仲間という集団の力をもって、この巨大な敵に立ち向かう必要に迫られている場合、結束のためには、互いの正しさよりも、結束することが優先される場合があると判断した。そうでなければ、孤立し、最終的に各個撃破されてしまうのは目に見えているのだ。
 

故に、私は自分の正しさということが最優先ではなくなった。それ以前に仲間が必要なのだ。そうでなければ、この状態を好転させることは出来ない。全ての前提は冷徹な計算、というか、当たり前の計算である。当然の帰結といっても良い。故に今の私は昔に比べて遙かに寛容である。あくまでも昔に比べてのことだが。

思うに、仲間とは、相手の尊厳を尊重することで成立する。それが出来ないものは、孤独になるしかない。