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はだしのゲンの作者、中沢啓治さん死去に思う

2012年12月19日、午後2時10分に漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治(なかざわ・けいじ)さんが広島市内の病院で亡くなられた。73歳だった。

 47NEWS:【中沢啓治さん死去】目をそらすな、怒りを忘れるな/怒りを創作意欲に昇華させた
 zakzak:「はだしのゲン」作者の漫画家、中沢啓治さん死去 73歳
 ニコニコニュース:<訃報>中沢啓治さん73歳=漫画「はだしのゲン」の作者

核の恐ろしさを漫画というメディアで多くの人達に教えた方だった。自分がこのマンガに出会ったのは、小学校の教室の中にある本棚だった。ボロボロになっていて、それを読むと、引きこまれた。とても酷く、辛いことが書かれているのに、引きこまれてしまうのだ。こういう読み方をするのは、手塚治虫の漫画と同じ引力を感じる。他の漫画では、こうならない。読み手の感性が物体だとしたら、この作品には、その重さに比例した重力がある。他の作品では、そういう「重力」はない。読んでいくと子供心に読むのは、辛くて苦しいけれど、最後まで読むべきだと思わせるものがある。感性にリアルに訴えかける漫画と言ったほうが正確だろう。

印象的だったのは、原爆による火事で家が焼けてしまい、家族が離れ離れになり、優しかった母親が狂ってしまい、そのあまりの落差に恐怖を覚えた事。その後、その母親は死んでしまって、荼毘にふされると、放射能でボロボロになってしまい骨の形が残らない。あまりにも酷い、でも読んでしまう。そういう内容だったと記憶している。戦時中の辛い中でも、戦時教育に洗脳されないまともな感性のお父さんがいて、それゆえに幸せな家庭を原爆が一瞬にして、不幸のどん底に突き落とす様は、子供心にショックだった。それでも立ち上がり、必死になって生きるゲンの姿に生きるたくましさを感じたのを覚えている。自分が表現規制に反対するのは、こういう酷い描写、惨い描写、そういうものが規制される恐れがあるからだ。世の中に、そういう事を伝える必要がある。特に子供達に。だから、表現は自由でなければいけないと思う。

自分が表現規制に反対するとき、この漫画がいつも最初にイメージされる。酷いけれど、常にそういうものを表現できるようにしておかなくてはいけない。そうでないと、こういう悲惨な事態を子供達に伝える手段を失う。その事の方が恐ろしい。表現規制の末に、世の中がそう言う悲惨な事を忘れ、また再び、核のようなものを使って戦争などしようものならば、それは、表現規制という忘却が原因だと思う。歴史から多くを学ぶためには、歴史の悲惨さも伝えなければいけない。そのためには、表現規制などあってはならないのだ。そういう意味で表現規制は偽善だと思う。ある種の現実逃避とも言える。FACT(真実)に基づく社会の改善を妨げる後進的な行為とも言える。

また、核の恐ろしさ、通常の兵器と異質な状況、それもこの漫画では、描かれている。肉がただれて、水〜水〜と叫び、川へ行く人々、スプラッタ映画なんて、おもちゃに思えてしまう様な事態が現実に存在したというだけで、「こわい、くるしい、辛い」「こんなの絶対、嫌だ」と感じた。そして、そういうスプラッタ状態の街の中をアメリカ軍の調査隊が入ってきて、死体などから臓器を回収し、ホルマリン漬けにする様は、非常に不気味だった。まるで人を実験材料か何かと間違っているかのような光景だった。科学的に見れば、そういう行為は理解できるものの、その対象が同じ人間なのだと思うと、抵抗を感じる。そういう抵抗感を失ったらダメだと思う。なぜなら、それを始めてしまうと、際限がないからだ。科学の知的好奇心というのは無限だ。この無限の好奇心に倫理感が喪失してしまうと、原爆のような恐ろしいものを作り出し、そして、そういうものが、どういう影響をおよぼすのか調べつくそうとする。その過程で、人の命とか、尊厳とか、そういうものが蔑ろにされる恐れがある。(現実に福島で起きている)また、核で恐いのは、最初の爆発ではなくて、その後の放射能による後遺症が恐いことだと、このマンガでは描かれていた。ここのところは、あまり覚えていないのだが、ゲン達が生き残っても、その周囲で深刻な後遺症が次々と襲いかかるのを見て、通常の爆弾と違う特徴を持っていると分かる。通常の爆弾であれば、その爆発から逃れれば、後は大丈夫だが、原爆の場合は、後から追いかけるようにして、人の体と心を蝕んでいく、とことんまで人を不幸に貶めるために作られた兵器というのがよくわかる。

3.11の事態に陥って、原発に反対するのも、このはだしのゲンを読んだ世代が中心になっている。20〜30代は、このマンガを読んでいないと思う。このマンガを読んでいたら、反対運動にもっと彼らが加わっているはずだ。だから、このマンガをみんな読んでほしい。読めば、考え方が変わる。核に対する捉え方が根本的に変わる。そういう漫画だ。中沢さんの死に際に、選挙で勝てなかったのが残念だ。このマンガをもっと紹介していれば良かったと思う。よく考えたら、核の問題に対して、コレほど優れた教科書はないからだ。今は、このマンガはPCやタブレットでも読めるので、そのURLを紹介しておく。Twitterでも紹介することにしよう。あと大抵の図書館には置いてあると思うので借りて読むことをオススメする。図書館ではタダで読めるしね。このマンガは、あまりに悲惨なので、読み返すことに勇気のいる本だ。そういう意味では図書館で1回読めばいいかも知れない。読み返すのに勇気のいる本、そういう本というのも珍しい。でも、この悲惨な本、子供の頃は悲惨なのに、教室の中で真剣になって、何度も読んでいた記憶がある。そういう意味では、真実の重みというものを感じる。読み返すたびに恐らく思いを新たにする重量感のある本というのが、自分のこの本に対する感想。もし、中沢さんのこのマンガがなければ、人々は核の恐ろしさを忘れていただろう。なぜならば、政府が躍起になって情報を統制しているからだ。だが、このマンガを読んだ人たちは知っている。福島の事について、政府がウソを言っていることを。なぜなら、この本が核の真実を語っているからだ。真実はいつも、時を超えて人に嘘を見抜く力を与えてくれる。この本を読めば、核の恐ろしさが分かり、そして、どういうものか分かる。そう思うと、中沢さんのこの漫画がなければ、私たちは政府に騙されていただろうと思う。ベクレルとかシーベルトか、大半の人にはわからないだろうから。それよりも、どのように苦しむのか、どれほど悲惨なのかを伝えたこの漫画のほうが、ずっと効果的にも思える。そして、それによって、危機感を覚えた人がベクレルとかシーベルトとかを勉強して、食べ物だったり、水だったりを注意する。そして、政府を信用してはいけない事も知るだろう。
 
電子本(こっちの方がスペースを取らずいつでも読めて安い)
 eBook Japan はだしのゲン(1巻315円、全14巻4400円)
 http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/152.html

紙のコミックはコチラ、若い人(子供から30代まで)に読んでもらいたい。この中の漫画ではない方の「私の遺書」は、中沢さんが亡くなった12月19日に出版され、現在売り切れている。