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【動画】官邸前 反ACTA抗議集会|2012.10.18 & 「甘さという愚かさ」

官邸前 反ACTA抗議集会|2012.10.18(木)PM 7:27

(本当は80分撮影したのだが、誤って30分の方のデータを消去してしまい、今回は50分のみの動画となった)

自分は自転車で来ているので、この日は雨で、行けるかどうか、小雨になってきたので40分遅れで到着、80分程度の動画を撮影し、その後、経産省前のテントで今後の活動について議論をする。遠藤さんからフェアユースを進める事が提案された。フェアユースとは、著作権者の権利を侵害しない限りにおいて、情報の引用などの権利を認める制度である。そうやって情報を共有することで、例えば、アメリカでは、ニュース報道を記録しているアーカイブサイトが容認されている。そういう情報を保存して、それを皆で共有することで、過去の政治家の言動を追跡できるようにすることで民主主義のチェック機能を果たす。自分はその中で遠藤さんに質問したのは、「それほど、(営利企業の商用ニュース情報をコピーし共有するような)強力な事ができる哲学とは何なのか?」と聞いてみたところ、「一言で言うと民主主義」との事。つまり、民主主義の基本原則が、民衆の総意によるものである以上、その総意を決定づける情報の共有は欠かせないという考え方なのだ。つまり、これを著作権に基づいて否定するというのは、著作権にかこつけて民主主義を否定することになる。つまり、そういう論理で認められているのだという。

私はもう一つ聞きたい事があったので、質問をした。フェアユースのような事が出来るのも、米の民主主義教育の賜であって、日本にはそれが全くない、世論の支持が得られない中、(フェアユースのようなものを)どうやって進めるのか?」それには、遠藤さんは「確かに全くない」と答え、続けて、「今回の危機的状況こそが、その突破口になる」という考え方だった。というのは、TPPなどの国民主権を破壊するようなルールが推進される中で、自ずと主権在民の原則など、民主主義の基本原則に注目が集まる状況ができつつある。その注目を集める状況を利用し、人々の間に民主主義を根付かせる。これは、荒唐無稽のことではなくて1970年台のアメリカの市民運動に、そのモデルがある。つまり、それと同じ事を起こそうと言うことだった。そして、その上でフェアユースを広めることで、情報の引用拡散を権利として認める事が必要だという話だった。私はなるほどと思った。あとは、それをどう実現していくのかということが課題であり、バウチャー制度(コンテンツに特化した二次通貨(エコポイント)のようなものをネットを通じて国民全員に配り、それでコンテンツが購入されることで、クリエイターを支援する)を提案してはどうかとか、ベーシックインカムとかの話が出てきた。その中で遠藤さんは、ロビー活動に重点を置いているようだった。秋葉原の反ACTAの集会は周知活動の一環として、こちらはロビーという感じで相互に連携するという考え方のようだ。

ACTAの運動は小さいが、思うのは、この行動に私は、磨けば光る珠のような可能性を感じる。というのは、これほど真摯な話というのは、私はついぞ聞いたことがないのであって、私は日本人は、そう言う真摯なものを認める感性があると思うからだ。(判官びいきとかね)

「甘さという愚かさ」
そう思いながら、議論を終えて外に出ると、雨がドシャ降りで、自転車で来ている私は傘をさして自転車に乗ったのだが、途中で風で傘のフレームが1本折れた。私はカサをこれ以上壊さないように、走ったのだが、やはりずぶ濡れになってしまった。ずぶ濡れになってから、よく考えたら「明日の金曜日もデモで官邸前に来るのだから、今日は自転車を1日おいて電車で帰り、それで明日の官邸前は電車で行き、帰りに自転車で帰ればいい」とずぶ濡れになってから気づいた。どうして後になって、こういうことを考えつくのだろうと思ったのだが、それは、問題を軽く見ていたからだと分かった。つまり、「このくらい大丈夫だろう」と高をくくってなめていたから、こういう事になった。もし最初から、舐めることなく慎重に考えていたら、最初にそれを思いついていただろう。後になって思いついたのは、ずぶ濡れになって大変だということを知ってからだったのだ。

ここで思ったのは、私は馬鹿と言うよりも甘いのだと思った。甘くなければ、恐らく賢明な判断ができたのだ。そういう意味で私は、自分の昔の友達のことを思い出した。彼は、非常に大きな成功を収めたのだが、私は、自分と彼とはそれほど大きく違わないと思っていた。ただ、彼と私の違いは、本質的に状況を甘く見ない鋭さが彼の方にあったのだと思った。能力の差は大きくないと思う。ただ、甘いか辛いかの違い、状況を甘く見ずに己の能力の70〜80%を使う人間と、舐めてかかって10〜20%しか使っていない人間とでは、その違いが後で大きな差となって現れるのだとずぶ濡れになりながら思った。