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平清盛に政治家としての理想の姿を見る

平清盛 第8話「宋銭と内大臣」で清盛に理想の政治家象を見た。
清盛は、貿易港で宋の貨幣経済を知り、貿易を面白いと感じる。何が面白いのかというと、市民が活き活きとしているから。清盛の父、忠盛は「めずらしきもの、あたらしきもの、はっとおどろくものは清盛の大好物だからの」と言って笑う。その何が理想なのかというと、人が喜ぶ姿を見て、それを素晴らしいと素直に思う心がよいと見る。民衆の喜びや悲しみを共有してこそ、為政者としてあるべき姿なのだ。

 あらすじ:『平清盛』 第8話「宋銭と内大臣」
 http://blog.goo.ne.jp/ei666/e/d02b3b24d7877bb587f0f316ca1ff23e

忠盛が、院宣を偽造して宋から密輸入した珍しい陶磁器や書物を元海賊の兎丸が市中で堂々と売りさばいているのがバレて、有能な内大臣、藤原頼長に問い詰められる。ぐうの音も出ないほどの証拠をつきつけられて、「清盛どうするんだ、この状況で」と思ったが彼は許しを乞うことなく、貿易で国を富ませることが正義だと、己の正当性をいってのけた。(TPPは逆なのが象徴的といえば象徴的だが...)おお〜その手があったかと思ったが、「でも、そんなこと無視して頼長が追求すれば、頼長の勝ちなんじゃ...なにせ証拠が揃っているわけだから、言い訳だといってしまえば良いはず...」と思ったが、宮廷全体が忠盛に買収されていて、正しいことを追求しても効果のない実態、もはや、どちらが悪人なのかよくわからないと感じるが、だが、大事なのは手続きよりも民だという姿勢は、要するに形式よりも民を優先する。形式によって国が病んでいるのならば、その病んだ形式よりも宋との貿易で豊かになる方が正しいという主張。

それを聞いた時には、たしかにルール中心の頭だと頼長のほうが絶対的に正しいけど、本来的にルールは人のためなんだから、人を中心とする清盛の己が正しいという主張には、一聴の価値があると感じた。相手を上回る大義で、自分の主張を通す清盛の姿に、有能な政治家としての片鱗が垣間見えた。ただし、清盛は頼長を恐れた。言い返せないほどに、それを兎丸に追求されるが、「何かを変えたいという思いだけでは動かぬこともある。あのような男とやり合うには、俺はまだまだ力が足りぬ」と正直に自分の未熟さを語り、言い返せなかったと語る正直さは、成長できる人間の姿であり、好感が持てた。己の過ちを素直に認める所は、人として勇気のいることだが、清盛はそれを自然にやっている。それに対する兎丸も、面白くねぇといいながらも、「そのかわり、お前の面白き世の中を実現しろよ」と言うところが、民の心を代弁しているみたいで面白かった。

要するに民衆にとって政治は、皆が楽しくいきいきと暮らせる事をサポートするのが主たる目的であり、その本来的な目的を実現するためにルールやシステムがあるわけで、システムやルールのために民衆がいるわけじゃないんだよね。今の政治とは大違いだ。

  • 今の日本の政治の結果(清盛と違って民衆の悲しみを生み出している政治家達)

その本質を堂々と主張する清盛に政治家としての優れた面を感じた。それに対して、頼長は官僚の代表みたいな感じだ。しかし、ただの官僚ではなく高いモラル意識を持ち、優れた官僚の代表格と言っていい人物と感じる。基本的に、自分は、頼長のような人物は堅苦しくて怖いが、ある面で信頼出来る存在といえる。なんというか彼は行政のプロだから。

そういう意味で、政治家と官僚の対決のようにも見えた。この戦いは引き分け、互いにお互いの負けを認め合っている。法において勝っていたが、権力において忠盛に負けた頼長。本質論で勝っていたが、法的正当性(システム論的)には負けている清盛。両者痛み分けなのだ。お互いに好敵手という感じである。ライバルはこうでないと面白くないと感じた。政治家の理想の姿とは、常に民の視点に立ち、民が元気で活き活きとしていけるように国の仕組みを改めることである。その点において、今回の清盛には天性の政治家としての素質がある。それ故に兎丸のような民衆の代表格のような人間にも愛されるのだ。そこに政治家の理想の姿が見えるのだ。今の野田政権とは大違いだ。