SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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覚悟とは何か?

自分には覚悟が足りないと考えていて思ったのは、自分が覚悟らしい事をしていた時、何を考えていたのかと想い出してみると「それを自分がやらなかったらどうなるか?」という問いかけに対して、非常に悲観的な状況が想起された時だと分かった。とにかくやるしかないと考えるに至った状態が覚悟だと思う。要するに覚悟とは、責任感の現れなのだと思った。最悪の状況をイメージした時、それをやった場合とやらなかった場合の比較から。やっても地獄、やらなくても地獄、しかし、やらなかった際の問題が非常に許し難い場合、覚悟を決める。
 
つまり、やらなかった場合の事が明確にイメージでき、それを回避する為に最善の努力をする義務が自分にあると考えた時、覚悟のようなものが生まれている。覚悟について思い起こされるのは、マレーネディードリッヒがヒトラー政権下の祖国ドイツに対して、アメリカに亡命することで「ヒトラーは間違っている」とハッキリと意思表明した覚悟を思い起こさずにはいられない。ヒトラーに反旗を翻すだけでも命懸けなのに、連合軍の慰問講演を続けた。ある慰問講演では、こんな激戦地に来るわけないと兵士達が思っていたところへ、マレーネが登場したので、拍手喝采で迎えられたという。
 
祖国と敵対する覚悟、ヒトラーに刃向かう覚悟、戦地で命懸けで慰問講演をする覚悟、そのどれもが覚悟の塊のような人生だったと言える。そういう彼女を見ていると、覚悟とは、ある種の矜持だと分かる。つまり、これだけは引くに引けない価値観、それが人に覚悟をさせる。要するに覚悟とは、プライドである。優しさと言い換えてもいいかもしれない。プライドと優しさは似ている。
 
私の人生、引いてばかりだったので、覚悟が足りないのは、安易な譲歩の結果とも言えなくもない。そんな事を考えていると、彼女の歌、「リリーマルレーン」が頭の中に流れてくる。激戦地で歌う彼女の姿をイメージして、自分も頑張らなくちゃと思うのだ。

 
Wikipedia:マレーネ・ディードリッヒ