SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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勝つための希望

最近、エレクトロニックアーツのiPhoneAppが殆どが115円と言うセールをやっていて、その中のモノポリーをやっていて気づいた。自分×1対コンピューター×3でやっていると、殆どの自分のカードが抵当に入っていて、もはや財源と言えるべきものはなく、負けるのは確実だった。そんなときに相手が家を立てているマスに入ってしまった。売れるのは抵当の入ったカードのみ、しかもこれを売れば、殆どの領地が資金が潤沢にある敵の手に渡り、カードが揃い、家を立てられ、負けるのは必定という感じ。そこで、もう投了しようかと思ったが、多少粘ってみる事にした。抵当に入ったカードを売り、ゲームを続行した。すると、立て続けに他のコンピューターのプレーヤーが最も強い奴に負けてしまい、私は諦めていたら、4位だった順位が2位に格上げになった。そこで思ったのは、粘っていなかったら、私の順位は最下位だっただろうという事、最後に、最も額の多い場所に入ってしまい負けてしまったのだが、そのカードは元々、負けた奴が抵当に入れていたカードだった。もし、諦めないで粘るだけでなく、勝つ事を考えていたら、その抵当に入ったカードを買い取って、何とか持ちこたえ、そのカードに家を立てて起死回生の可能性はあった。そう考えると、諦めないで粘るだけでなく、同時に勝つ事も考えて行動していれば、もしかしたら勝てたかもしれないと思ったら、勝つ意識というものが重要だと思った。つまり、殆ど、負けに等しい状況でも、僅かであっても勝つ希望を失わなければ、勝ち筋が見える。私は、情勢が不利になった段階で勝つ事を諦めてしまったばかりにそれが見えなかったが、もし、情勢が不利でも、それをひっくり返して勝つ事を意識していれば、抵当に入っているカードの中で逆転できる可能性の高いカードを無理してでも買取り、可能な限り持ちこたえ、僅かではあるが勝負に勝つ可能性を見いだせたはずである。私は諦めた段階で、既に負けていた。諦めないだけでなく、それを、ひっくり返す事を面白いと思える考え方を持つ事は、勝つ為に必要だと思った。
 
今の日本は、情勢が厳しいが、ここで負けたと思ってしまっては、その段階で既に負けている。しかし、勝つ事を考えれば、僅かであっても勝ち筋が見えてくるものなのだとゲームをやっていて思った。環境問題にしても、日本は世界を変えるだけの素晴らしい研究成果があるので、充分勝てる要素があるのだが、それを最初から上手くいかないと考えたら、勝てるものも勝てない。勝とうとする意思があってこそ、勝利の女神は微笑む。その意思のないものには微笑まない。そういう意味では、勝利の女神は、勝ちたいと純粋に思う無邪気な人間がお好きなのだ。自分がなぜ諦めたのかと考えてみれば、これ以上やっても無駄だと思ったからだ、しかし、実際には粘った事で順位が4位から2位へ格上げ、もし、勝つ事を考えていれば、僅かではあるが1位になれる可能性はあった。自分が最も額の多いマスに入ってしまった時、このカードを買い取っていれば、このマスに入っているのは、自分ではなく相手プレーヤーだったかもしれないと思った時、勝つ事を諦めなければ、それが容易に判断できた事に気づいた。日本も同じである。優れた環境技術や研究成果を持ち、21世紀において最も額の大きいカード(電気自動車自然エネルギー、バイオエネルギー生成技術)を持ちうる場所にいながら、日本国民は絶望している。これはモノポリーで負けた私と同じである。勝てる場所にいながら絶望しているのである。なぜ絶望するのかといえば、勝つ意識が乏しいからだ。もし、勝つ意識があれば、自分の有利な立場を最大限活用しようとするはず。しかし、それが出来ていないのは、最初から負けると決め手かかり、諦めているからだ。でも、そういう風に諦めなければ、情勢をひっくり返し、自分の有利にコマを薦める事も可能なのである。それは私たちが気づいていないだけで、勝とうとする姿勢があれば自ずと見えてくるものなのだ。テレビでシンガポールのバイオポリスを創設した人が、「日本人はあれほど技術や資金に恵まれているのに、なぜ絶望するのか不思議でならない」と言っていた事を思い出す。私たちの絶望は失われた20年の間に生まれた負け犬意識から生じていると思う。しかし、諦めずに情勢をひっくり返す事を常に考えていれば、勝ち筋は見える。それは簡単な事なのだ。負けるから無駄だと考えるのではなく、これで勝ったら面白いと考える事なのだ。そうやって楽しめる奴に勝利の女神は微笑む。
 
私も元友人に成功するアドバイスを自分で与えていながら、自分は、それは出来ないと思い込んで彼が手を組んでやろうと言った時、それを自分がやっても無駄な事だと最初から諦めていた。だが、彼は諦めず、僅かな勝ち筋に賭けた。その可能性は、私自身が彼に与えたのである。つまり、私は可能性を理解し、情勢をひっくり返す秘策を自分で考えていても、それを自分が実現できないと絶望するあまり、成功しなかったのだ。ある意味、今の日本と同じである。そういう意味では、私も日本という国自体も、諦めるのではなく、勝つ事を楽しむ事が大事だと思う。そうすれば、充分勝てるものを持っているのだから。もったいないと思う。
 
「自分に絶望しても何の得にもならない、むしろ希望を持った方がチャンスが掴める分、明らかに得だ。つまり、諦める事こそが無駄なのだ」(安易な諦めは己の才覚を無駄にする)
by skymouse
 
↑そういう意味では、下記のように短くまとめるべきかもしれない。
「"やっても無駄" なのではない ”諦める事こそが無駄”なのだ」
(諦めて、それに伴う労力を惜しみ、チャンスを無駄にする)
 by skymouse
 
私が諦めたのは絶望によって傷つく事を恐れていたから、でも、その恐れからは、チャンスが見いだせない。一時は傷つかないが同時にチャンスを失う事で別の形で傷つく、そういう意味では、結局、傷つく事では同じなのだから、やった方がまだマシという考え方もある。挑戦をしない事は、結果として停滞を生み、それ自体が絶望となる。ジリ貧から抜け出すのには、勝とうとする姿勢が最低限必要だ。私は、勝ち筋を見いだす能力は僅かではあるが持っているようである。ただ、それを信じて頑張らないだけのようだ。私の場合は、それを信じるだけでいい。信じて頑張って、それでダメだったらそれでいいじゃないかと思う。同時に頑張るだけでなく、勝つ事を考える。そうじゃないと2位どまりだ。勝つ意思があってこそトップが狙える。トップを狙う事を常に考えてれば、勝てる秘策も思い浮かぶというものである。実際、私は他人にそれを与えていたのだから、尚更である。皮肉な事に私は他人を成功させてばかりで自分は成功していない。その原因は、勝とうとする意識の低さにあるように思えてならない。他人が自分のアドバイスを得て成功するのを見て、そう思わずにはいられない。