SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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日本社会の思考形態を「群従」と名付けてみた。

日本社会における思考形態について、一つ言葉を考えた。それは「群従」である。自分で考えるのではなく、群衆の意思に盲従する姿勢を「群従」と名付けた。その反対に、Wikipediaのような集合知の場合は、群衆が寄せ集まって一つの知性を形成するスタイルを「群考」と名付けた。群従と群考の違いは、付和雷同で何も考えず、隣の人間の言う事にただ従うだけなのが「群従」、皆で一緒になって考えるのが「群考」である。群従の集団には明確な意思がないのに対し、群考の集団には明確な意思があるところがポイント。
 
付和雷同:群従(バカ:群衆心理に盲従、他力本願、無責任、当事者意識の欠如)
集合知 :群考(賢明:皆の知恵を集める)
 
群衆心理に盲従する愚かしさを揶揄する言葉として、群従という言葉を発明してみた。日本は群従するのではなく、群考できる社会になろう。そうであってこそ、民主主義が生きてくる。群従する人間の集合体は、衆愚政治の温床であるが、群考できる社会は、賢明な民主政治となるであろう。民主主義は、群考できる社会を前提としており、群従社会は前提としていない。
 
民主主義を愛するならば、群従するなかれ、群考せよ。
 
まわりの空気ばかり読んでいて、自分の頭じゃ何も考えない奴を、群従と名付けてみた。民主主義において、自分の頭で何も考えない奴が、多数決で勝ってしまう社会は衆愚政治になってしまう。逆に、皆が知恵を出し合って、良い結果を出そうとするのは、理想の民主主義である。民主主義の理想は、群従ではなく、群考にある。そこで、衆愚政治の温床である付和雷同に、より分かりやすい名前をつけて、批判できるようにした。つまり、愚かな行為に名前をつけてターゲットスコープに置いたわけだ。
 
災害などで、群衆心理に従うと、火災で火が近づいていても、皆が逃げないから、大丈夫だと普段、理性がある人間でも非合理な発想に支配され、焼け死んでしまうという現実がある。焼け死ぬ前に必要な事は、自分の目で見て自分の頭で考える事なのだ。その為には、その対極にある群衆心理をマーキングして根拠のない頭空っぽの集団に盲従することが間違いだと分かるようにする事なのだ。