SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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戦いは人を成長させる

ふと、思った。人間は戦うと成長すると、戦いを避けていると成長しない。では、日本は経済成長しないのは、経済において戦っていないからなのか?と突っ込みたくなるが、それは置いておいて、戦いがなぜ人を成長させるかという事を、より詳細に分析してみる事にした。
 
そもそも成長とは何かと言えば、何らかの能力が向上する事を指している。つまり、戦いの中で成長するというのは、戦いが能力を向上させるのに効果的だという事である。私の子供時代の戦いは、絶対権力と、それに対する自分の脆弱な肉体との戦いであった。ホンの僅かなストレスでも体が反応してしまい、ボロボロになってしまう。風邪を惹き、自沈する。
 
つまり、私は戦ってしまうと、能力が向上するどころか体が壊れてしまう。だが、私も面倒な事をやっていく中で、多少は問題に対する耐性がついてきた感じがする。まるで最近話題の耐性菌のように私も多少は適応能力があるようだ。私の適応能力は、ある種の慣れから生じる感覚の麻痺だ。慣れが感覚を鈍らせ、まるでそのことに耐性があるかのような錯覚を生み出す。
 
その結果、鋭敏な感覚を持っている時ではストレスとなっていたものが、感覚の麻痺によってストレスにならなくなっていく事で、あたかも耐性が出来たかのようになる。慣れてしまうと帰結が分かるようになり、冷静になる事が出来るのだ。つまり、私の場合、能力が向上するよりも、ある種の感覚麻痺が成長となる。感覚が麻痺する事も、ある種の成長といえるかもしれない。そうする事でストレスにならず、冷静でいられるのだから。
 
私の場合は、成長というよりも特定の感覚が崩壊する事で、それが成長であるかのように見える。能力が向上するよりも、能力が壊れる事で状況に適応するような傾向が強いのではないかと感じる。破壊的適応。これは、水流の中で丸くなっていく石のような適応状況だと感じた。戦いというのは、ある種の自己崩壊を促し、その崩壊した結果が、状況に適応できるものになった時、それを成長というのかもしれない。そんな事をふと思った。