SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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既得権という中毒

日本は既得権という中毒(依存状態)に犯されている。どんな改革も出来そうにないほど、既得権に犯されている様を見て、絶望的になるのは私だけではないだろう。
 
中毒症状を治すには、それがないとダメだという思い込みをなくす為、別の複数の手段の存在に気づく事である。例えばパチンコ中毒の人はパチンコがなければ、生きていけないと思ってしまう。タバコもそう。でも、なくても充分生きて行ける趣味や興味を抱けるものが他に生じると、中毒症状はなくなり、健康になる。
 
従来のビジネスモデルや従来業種、それがなくても、新しい業種や新しいビジネスモデルで生きて行けると証明されたら、別に既得権にこだわる必要はないという事で、改革が実践できるようになる。だが、今の日本はそれを提案する人間を村八分で切り捨てているらしく、全然前に進まないし、マスコミも不勉強な連中が多くて、そういうものがあっても、紹介するだけの能力がないようだ。
 
私が見ていて思うのは、「恐れすぎ」という事。既存の枠組みから外れる事をまるで天に見放されたように感じるのは精神的に異常だと思う。TVでセザンヌの伝記がやっていて、通常と違う彼の画風は、多くの人の反感を買ったようだが、彼は「私が何をしたと言うんだ」と言って悩んだと言う。彼が攻撃される理由は、既存の枠組みを信じている人間にとって、セザンヌの絵は挑戦的で、挑発的だった。つまり、敵意を抱かせるものだったのだ。彼自体には敵意はない。彼は感じたままに素直に書いただけなのだ。
 
心の狭い周囲は彼を非難したが、その狭さはどこから来るのか?これは今の日本にも言える事である。それは「安易な保身」を批判しなくなった事にあると思う。つまり、従来の形や論理に偏る人間がいたら、昔だったら、「古い」とか「保守的」とか言って非難されていた。だが今は、これは白、これは黒、というように白黒をつけると言う事をしない。そういう事をすれば非難される変な社会になってしまっている。白黒ハッキリつけられない人間は優柔不断であり、決断力がないと非難されないのは困り者。
 
なんか分かったような顔をして「人それぞれ」なんぞと物事を相対化して、絶対評価として客観的に裁かなくなっているのは、非常に問題。ある程度、物事に白黒つける事が出来ないと、何も決断できないし、何も変えられないのだ。それは即ち停滞を意味する。停滞から脱する為には自分なりに、何が良くて何が悪いのかハッキリ主張する事が大事だ。それが出来ない人間は、物事を自分の頭で評価する事ができず、それ故に既存の枠組みにしがみつき、セザンヌのような新しい人間を弾圧するしか能のないクソッタレとなる。
 
あなたは、そういうクソッタレだろうか、それともまともな人間だろうか?