SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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映画「ガンジー」と「自由」

ガンジーの言葉で印象的だったのは、「屈服しなければ尊厳を失わない」という亊だった。確かにその通りだと思った。子供の頃の私は余計な争いを避けようとして、屈服ばかりして尊厳を失ってばかりだった。
 
争いを避けるのは、ガンジーも同じだが、彼は屈服しなかった。つまり、攻撃はしないが要求も聞かない。私が悪かったのは、争いを避けるまでは良かったが、彼らの理不尽な要求を聞いてしまった事にある。(彼らの目的は達成されてしまうわけだ)
 
ある意味、攻撃はしないが、屈服もしないという姿勢にはイギリスも参っただろう。彼はこの行いについて、こう述べている「私達が攻撃しない事によって、彼らは自分達の罪を自覚するのです」不当な事を不当であると自覚させるには、抵抗もしないが、屈服もしてはならないのだ。前者は楽にできるが、後者はそうはいかない。権力者の報復が伴うからだ。だが、それを耐えた末に自由があるとするならば、甘んじて耐える覚悟がインド人にあったからこそ、インドは独立を勝ち取ったのだと思う。
 
私の子供時代、自由を獲得できなかったのは、この「屈服をしない」という報復を覚悟の捨て身の作戦がとれなかった事にあると感じた。弱者が強者と戦うには、強者に罪の意識を目覚めさせるという新しい戦い方を発明したガンジーは、とても革新的だった。子供時代の私の過ちはガンジーの無抵抗主義の重要な部分を理解していなかった事にある。それは、「抵抗しない」だけでなく、「屈服」もしてはならないという亊だ。
 
それにしても、イギリスはガンジーの徳と知恵に勝てなかったと言える。ガンジーの徳とは、無抵抗と非暴力を主眼とした平和主義と、知恵とは、それを背景にした抵抗運動と、それを広める為にジャーナリストを活用したこと。(憲法第9条もガンジー的だ)
 
私の子供時代の過ちは、他者の不正を自分の心の中に留め、広めなかった事にある。不正な事は不正だと大声を上げる事、それが大事なのだ。要するに自由を獲得するには、以下の事が必要である。
 
ガンジー流自由獲得方法
0.無抵抗・非暴力(徳を積む:徳を背景に罪の自覚を促し)
1.屈服をしない(隷属しない事で目的を達成させない)

  • 権力者が恐れるのは支配権が機能しなくなる事、なぜなら、大多数の民衆がいてこそ国が成り立つ、その足下が機能しなくなったら、彼らは丸裸なのだ。。

2.不正を不正だと周囲に広める(不正を行なう者を白日の下にさらす)

  • 社会で言えば、ジャーナリストの仕事だが、今はblogがあるので誰でも意見が主張できる。ただ、ジャーナリストはお金をもらって一日中、情報収集が出来るのだから、薬のネット販売禁止の裏側をもっと切り込んで官僚利権の存在を白日の下にさらして欲しかった。検察から提供される情報に依存し西松の問題をあれだけ報道するのならば、それよりも遥かに規模が大きい官僚利権にも切り込んで不正を白日の下にさらすべきだった。そうでないと公平ではない。公平とは、対称性が伴わないといけない。それが伴っていないと「差別」になる。今の報道は差別的報道と言っても過言ではないだろう。日本の報道は権力者にとっては、とても都合のいい存在と言えるだろう。こちらから提供される情報だけで報道するのものだから、非常に扱いやすい。私が権力者だったら便利だと思うだろう。

 
独裁者や権力者が最も恐れるのは民衆が自分の言う事を聞かなくなり、支配権が機能しなくなる事である。逆に言えば、隷属するものが多ければ多いほど、独裁者の権力が増すという事だ。そういう意味では、子供時代の私は、いじめっ子に権力を提供していたとも言える。今思えば、最低の事だが、当時はそれが仕方がない事だと思っていた。だが、仕方がない事ではなく、報復覚悟で従わないという手もあったのだとガンジーの映画を見て思う。
 
「こうやって自由は獲得できるのだ」という教科書みたいな映画だった。
 
自由の教科書
映画「ガンジー」DVD(188分) 1765円 Blu-ray版もある。

http://www.amazon.co.jp/GANDHI-COLLECTORS-DVD-%e3%83%aa%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%83%89%e3%83%bb%e3%82%a2%e3%83%83%e3%83%86%e3%83%b3%e3%83%9c%e3%83%ad%e3%83%bc/dp/B000YI7V4Q/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=dvd&qid=1238646623&sr=8-1