SKY NOTE

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怠慢と現実は違う

悲観的な現実を他人のせいにしていると、本来自分で改善できる事すらも見えなくなる亊がある。悲観的に考えて、努力する気力を失ってしまうと、悲観的な結果を自ら招いてしまう。だから、悲観的な状況であっても自分を励ます必要がある。オバマがアメリカ人にしている様に...そこで歴史に残る名演説を集めてみた。

あの有名なフレーズは3:56から4:30まで
ケネディ大統領 就任演説(字幕訳版)2/2(5:33)

「あなたの国家があなたの為に何をしてくれるかではなく、
 あなたがあなたの国家の為に何ができるか問おうではないか」
 
自助努力を求める厳しい言葉だが、怠惰を否定し建設的になろうというメッセージが読み取れる演説だ。

martin luther king spech(0:28)「I have dream!」

私には夢があると言って平等を訴える姿は、黒人の逆境を跳ね返すパワーがあった。そして、それから数十年の時を経て...

オバマ 演説(字幕): 11.4 勝利演説 2/2(8:49)

「Yes we can!」の演説は4:20-7:45(真ん中よりちょっと手前から)
(字幕:再生中に右下の△のボタンを押して字幕設定をオンにしてください)
Yes we canの演説は、ある老婆の話から始まります。

これらの演説を聴いていて思うのは、希望が気力を奮い立たせ、世の中に変化をもたらすという亊だ。それは、人々自身の力によるものである。変化を起こすのは民衆自身の選択と努力にかかっている。
 
もし、絶望が怠慢を生み、悲観的な現実になるのならば、私達はそれを「現実」と呼ぶべきだろうか?(現実ではなく怠慢と呼ぶべきではないだろうか?)もし、希望が気力を生み努力と献身を人々に促し、その結果として楽観的な現実になるのならば、私達はそれを変化と呼ぶだろう。「変化」を「現実」にするには、私達自らが「Change」しなければいけない。しかし、変化には勇気が必要だ。それを奮い立たせる言葉が、これらの名演説であり、それが、その後の世界を変えた(変えている)「現実」を私達は無視できないだろう。
 
Think different(0:29)

私は思う、努力の実体は希望なのだと。
 
私が私自身の怠慢によって敗北するのは当然であり、それは運命でも何でもない、単なる怠慢(努力不足)に過ぎない。ならば、もう片方の成功する現実もあるという事である。努力して変えられる現実があるとすれば、怠慢=現実ではなく、怠慢<現実なのだ。