SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

不確定(未来)という真実

未来は決まっていないので、確定していない。私はセンスで、今これは証明できないのだけど、「将来はこう」という亊がある。確定してはいない、だが、そうせざるおえない状況になる。
 
そういう発想は、まずコンセンサスを得られない。センスだけだから共有は不可能、だが当る確率は高い。そのセンスに合わせて行動すれば、最も無駄のない経路を辿れて効率的なのだが、最短コースは多くの人が理解できない状況にある。
 
私の勘を信じるしかないというのが、このセンスの悪い所だ。証明するモノが何もないのだから。唯一証明できるのは、人々の将来のニーズと、その状況(時点)で最も最善の要素を選ぶと、そういう選択になるという天気予報みたいな説明だ。だが、天気予報と同じく断言はできない。
 
私は天気予報と同じく、気圧配置を見て、物事を予測していく、現在の気圧配置ではなく未来の気圧配置から最善の選択肢を選ぶ、でも、証明する為には昨日の気圧配置のデータしかない。このデータだけは皆は信じるが、それ以上は信じるのは無理。
 
予測分析には推定が増えるが、推定にも根拠はある。極端な予測はしないという事だ。現状の進歩のスピードから飛躍する事はない。だから、飛躍した場合や停滞した場合には予測が外れる。でも、私は有能な人間とはどういうものなのか知っているので、トップクラスの連中が動いていれば、このくらいの結果を出してくるだろうと当たりを付けられる。
 
だから、環境問題がメインの話題になった段階で私の予測の的中度は上がったのだ。それは、有能なトップクラスの連中に必要な予算と権限が与えられ、行動させる動機が生まれたから。つまり、私の予測の的中度は有能な人間の特徴を理解している私が彼らの能力から到達できる状況を査定して決めている。つまり、私の予測は人を分析しているのだ。
 
私は予測するとき、無理な事は考えない。必ず、緩やかなカーブを意識して予測する。たまに天才が現れてこのカーブが歪む事があるが、天才を理解できる連中も少ないので彼らが問題を解決しても、それを理解できる人間がいない限り、それは世に出ない。よって、世の中には自動的に大きな飛躍を抑止するメカニズムが働いている。凡庸という名のブレーキがある。だから、私の中間的な予測の的中度の確度は高い。なぜなら自然に最もバランスのいい所をついて来るので、当る訳だ。
 
だが、それすらも推定という札がついているので、なかなか認知されない。それをどう巧く説明するのかは難しい。真実は説明するのが困難である。本当の事だけど説明するのは困難なのである。私はよく文句を言われる「現実を直視しろ」と、だが、私は真実を見ているからこそ、現実と真実は違う混同しないで欲しいと思うのだが、彼らにYESと言わせるには、真実が現実になるまで待たないといけない。
 
つまり、天気予報で言えば、台風が来るまで待っているしかないのだ。サブプライムローンの問題を正確に予測した経済学者がいても、それが現実になるまで誰も、これほどの問題になるとは理解できなかった。
 
つまり、真実というのは、それがあったとしても、それを信じるのは難しいのである。現実と真実は違うのである。真実を信じる者は救われるが、誰を信じればいいのか分からないので、結局誰も正しい予測を聞いても、それが正しいとは分からないのだ。
 
私はこう思う事がある。「現実を見ろ」という人に感じる亊は「君は台風が来てから備えるのかね」と、未来を分析せず、ただそれが現実になるのを待っているだけの自虐的な人間として見てしまうのだ。だが、そう思っても明確な証拠がない限り、彼らの思考形態では信じない事は、ほぼ分かっているので、争うよりも避ける事を私は考えるのだ。だから、真実を伝えるのは非常に難しい。現実にはデータがあるけれど、真実にはデータがない事がある。それが本当の事だけど、確たるデータがないのだ。
 
恐らく私に出来る事は現在というレールを切り替えて未来に繋げていくしかない。つまり、真実を言わず、現在を、真実に繋げる方向に向ける事くらいだろう。
 
現実が赤ん坊だとしたら、私は離乳食(理解しやすい現実)を食べさせるべきで、堅い人参(理解しにくい真実)を食べさせるべきではないのだ。私が出来る事は理解しやすい現実に未来を混ぜて飲ませる事くらいしか出来ないのではないかと思う。