SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

悪平等の何が悪いのか?

悪平等という言葉は、その言葉だけでは何が悪いのか分からない。そこで悪平等を言い換えるのならば、「みすぼらしい平等」、「品位なき平等」と言える。平等と称して、他人の努力を台無しにしたり、不当なものと正当なものを混同したり、公平を欠く行いをする、みすぼらしい平等感。

正当であるかの様に振る舞いながら、実際は不公平を実践している点で、みすぼらしく品位がないと言えるのだ。

公平であればこそ、努力が報われる。それを認める度量の広さを品位とするならば、それを認められない人は度量のない人間だと言える。頑張ったり成果を上げたら、それ相応に賞賛し、認め、評価する。そういうフェアプレイが品位だと思う。それがない平等を悪平等という。

また、たとえ実力があっても、それを鼻にかけ、他人の尊厳を蔑ろにするものもまた、品位がないと言える。そういう視点で悪平等や差別の問題を考えるとき、一番大事になって来るのが「品位」や「品格」となる。見た目ではない心の品位、それを意識する事で、悪平等と平等の区別がつき、差別と公平の区別がつく様に思えるのだ。

そういう分別がつく人を私は本当の意味で賢く、そして、品位のある人だと思う。そして、それがない人を、みすぼらしいと思う。悪平等は、人の努力を認めないし、正しい事も認められない、ただ平らにして自己満足をするだけの小さな平等。その小ささが問題なのだ。公の広さで見れば、努力をしたものをきちんと認めないのもおかしいし、正当なものと間違ったものを同列に置くのもおかしい。そのようなおかしな事を認める事で得られるものは、努力ではなく怠慢、正義ではなく絶望なのだ。

怠慢と絶望に価値があるのならば、悪平等は正しいが、それに価値がないとすれば、品位を重んじ、正当に評価する事を心がけるべきだ。悪平等が何が悪いかと言えば、公の視点から見ると「極めて不当」である事が問題なのだ。そして、その不当な行為を正当であるかの様なごまかしをする偽装行為が重なっている点で、単なる不当である以上の「悪」と言って差し支えないと思う。