SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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「世界を変える」とはどういう事か

世界を変えるという事について考えるには、実際に世界を変えた人を歴史から検証してみたいと思う。まず、ガリレオ、世の中が天動説を信じていた時代に、地動説をとなえた人。彼は当時の世界を変えたと言える。だが、彼は世界を変えようとしたのではなく、単に自分の見つけた真実を他人に伝えようとしただけである。本当のことを伝えようという彼自身の倫理感から、そうしたのだ。それだけなのだ。つまり、彼は自分が研究したことがたまたま、世界を変えるような真実だったので、たまたま世界を変えてしまったというわけだ。

次にエジソンエジソンは電球を実用化した人である。彼は、当時のランプが不便だと思っていた。ススが出たり、油を入れ替えなければいけなかったりと面倒だった。この不便な灯を便利な電球に変えようとしたのがエジソン。しかし、彼は世界を変えるというよりも、単に不便なものを便利にしようという情熱で動いていたに違いない。

この二人を見るとわかるように、別に世界を変えようとしていたのではなくて、単に真実を伝えたいとか、もっと便利にしたいとか、そういう人として当たり前の願望によって動いていることがわかる。ではなぜ、彼らが世界を変えたのか?それは世界を変えるようなことに関わっていたと言うほかない。誰もが足を踏み入れたことのない、人と違うことを、一生懸命になって突き詰めた結果が、偶然世界を変えてしまった。

だから、世界を変えたいというよりも、世界を変えることに知らぬ間に関わっていて、それを一生懸命やっている内に結果として世界を変えてしまったという事なのである。よって世界を変えることというのは、それが世界に影響を与えるようなものに関わり、それを一生懸命にやることなのだ。

ガリレオはキリスト教と反対のことをした。エジソンは従来のものに満足しなかった。そういう異端であっても、それを気にせず、前に進む人が世界を変える素養のある人なのだ。

日本ではKYという言葉が流行ったが、あの言葉は、ちょっと異端者を弾圧するような響きがあって好きではない。つまり、自分達と同じ考え方をする空気とやらを保つために、他者に同調を求める様な響きがあって、とても窮屈なのだ。多分、ほかのニュアンスでは機転が効かないという意味もあるのだろうが、とにかく、異端を弾圧するのはいつの時代も同じである。むしろキリスト教に縛られている中世のヨーロッパの方が、今の日本社会よりも遥に窮屈だったはずだ。でもガリレオは敢えて、その世界で真実を言ってのけた。それは彼が信じる信念故である。エジソンだって、人々を便利にしたいという願望を貫くのも、やはり信念があってこそである。

つまり、世の中がどうであろうと、「俺はこれがいい!」と言ってのけた奴が世界を変えているのだ。