SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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原理主義という盲目

市場原理の名の下、過度の自由主義に偏り、金融の秩序を維持できなかったアメリカ(特にブッシュ大統領)に思う事は、原理主義の盲目だった。人は原理主義という一つの視野に縛られると、他のものの存在を無視し、多くのものを失う事がある。

この原理主義に傾倒するタイプの人間は、発想が単純で慎重さに欠ける。平たく言えば教養がないと言ってよい。ブッシュが大統領になった時、今までにない位、極めて資質に欠ける人間が大統領になってしまったと思ったものだ。喋っている言葉からして、こんな馬鹿に大統領任せちゃっていいの?と思うほどだった。馬鹿に権力を持たせると、大抵よくない事が起こる。そういう意味では予想以上の被害を社会にまき散らして彼は大統領を辞める。今回の不況で会社をクビになった人がいたとしたら、ブッシュを恨んでいいと思う。

それだけアメリカ大統領の選択というのは世界に多大な影響を及ぼす。だから、ある特定の視野に支配される様な単純馬鹿(原理主義者)に権力を握らせてはいけないのだ。私の義姉もそういう人だったので、その異常さを私は理解しているが、要するに彼らは一つのものを信じていると楽なんだと思う。一つの秩序に依存している方が、決めるのが楽だ。それに対して、私の思想は神道に近く、八百の神がいて、それぞれにそれぞれを尊重しなければいけないというものだ。逆に原理主義者というのは、どちらかというと一神教に近い。神は唯一無二であり、他の神の存在は認めない。

神でなかったとしても、思想として、一つの視野に支配された発想をするのが、原理主義者の特徴なのだ。私がそういう発想にならないのは、物事が一つの理屈で片付けられるほど、単純ではないと知っているからだ。故に一つの視点に縛られるのは異常な事であり、普通ではないと考える。特に大の大人が、その程度の視野を持てないのは、極めて異常であり変であると考えている。人生何を見て歩いてきたのかと思ってしまうほどだ。

普通、一つの視野に縛られていれば、必ず失敗するから、そこで間違っている事に気づきそうなものだが、原理主義的発想の恐ろしい所は、間違っているのは、原理ではなく現実だと考えてしまう事だ。原理の通りに現実を合わせられなかったから間違えたのであって、原理そのものは間違っていないというのが彼らの発想なのだ。そうすることで、彼らは多様な視点を持つという柔軟な(賢明な)発想にはならないのである。

現実よりも原理を優先することで彼らは常に愚かなままなのだ。視野を広げるという発想にならない所が致命的だ。本当は、今回の金融危機は、アジア通貨危機の時にデリバティブ規制、あるいはレバレッジの規制、金融関連商品の情報開示など、金融の規制を適切に行なっていれば、これほどまでに大きな問題にはならなかったと思う。だが、アジア通貨危機という過ちを犯した後でも、経済学者は規制は必要ない、見えざる手で何とかなると思ってしまう反省のなさ、そういう意味では原理主義者とは反省しない人達なのである。故に同じ過ちを繰り返し犯す。私の自己チェック項目に、間違っていたら何かがおかしいと疑えというのがある。間違いには原因があり、それに聖域を設けない事が大事だという思想がある。

彼らの場合は、原理という聖域が存在し、その聖域を侵すものを退ける癖がある。だが、それこそが愚かさの源泉と言ってもいい。聖域を設ける事で無限に無批判は領域を作り、結果として過ちがそこにある時、何も出来なくなってしまうのだから。自分が聖人でない以上、聖域など存在させてはならない。特に過ちを犯している時には、謙虚にならなければいけない。その謙虚さこそ、賢さと言える。そういう意味では私もまだまだといえるのだが、原理主義者の様にはなりたくないと思っている。

謙虚であれ、さすれば道は開かれん!(ジョーク)

モーゼの十戒のワンシーン(2:07 あのシーンは1:13から)