SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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必要な争いを避けるのは美徳ではなく悪徳である

世の中には、争うべき事がある。例えば、警察を例にとってみよう。警察が「争うのは良くない事だ。だから、取り締まりをしない」と言い出したら世の中どうなるだろうか?犯罪者の天国になるだろう。
 
一見、争いをしないというのは、正しいように思えるが、戦うべき事を戦わないのは偽善であり、悪徳である。日本の不動産や建設関係の業種は、競争が充分に行われていない。女性に多いのだが、何でもかんでも争わない事が美徳だと考えている傾向があり、そのせいで、充分な競争が行われず、高コスト体質が温存されるような事が多い。
 
昔、電電公社があったが、当時の市外通話料金は、とても高かった。しかし、規制緩和と分社化による競争原理の導入で、電話料金は安くなり、昔に比べて遥かにコストパフォーマンスは高くなり、便利になった。競争を偽善的な正義感で阻害し、社会全体に損害を生じさせているのは馬鹿げた事であり、やめるべきことなのだ。
 
孫正義氏の光の道構想も、そういうものであった。だが、安易な平和主義によってこれも頓挫してしまった。争わない事が美徳のように扱われるが、基本的には既得権を持つ連中にいいように利用されていると言えなくもない。奇麗事はいつも、正しい事をダメにする。競争上、孫さんの主張が正しいのだ。既存のレガシーシステムを排除すればコストダウンが出来るのは、コンピューターの歴史を知っていれば、分かる事であって、そこに多少の誤差があったとしても、やるだけの価値は充分あったと思う。わざわざレガシーを温存し、その中で高い料金体系を維持しながら、自社を安定させようとするNTTの部分最適化の論理を多くの人々が評価をしてしまったのは残念な事だ。トータルパフォーマンスを引き出す為には孫さんの全体最適化的な発想を取り入れるべきなのだ。
 
私は、ここでいう競争を阻害する平和主義を「小さな平和主義」と言う。部分最適化レベルの正義であって、全体最適化をし、皆の利益を最大化する「大きな平和主義」に劣る発想と言える。この「小さな平和主義」という劣化した発想を切り捨てる事なしに、日本の総力は引き出されないと思う。